ストレスの爆発煮込み。疲労を添えて

頭が疲れているのか、肉体が疲れているのか、精神が疲れているのか、裸体が疲れているのか、上半身とか下半身とか全身が疲れているのか、目とか鼻とか喉仏とか小指とか、一切が疲れているのか、否、人生が疲れているのか、男としての性に疲れているのか、もうわからんくらいに疲れているのか、知りたくないほど疲れているのか、とにかくもう、僕は疲れているのです。ずーん。

人間という生き物は疲れていると何もできない。否、何もやらぬほうが良いと思ふ。なぜなら失敗するからである。

疲れている時に気合を入れたら気のせいでやれる気がするけど、そんなものは失敗する前のパーティーみたいなもんで、三振前の大当たり、絶望の前の奇跡、火事場の馬鹿力を信じて焼死するようなもんである。

思春期の時代は気合を信じて根拠のない奇跡を実績かのように誤解をしながら乗り切れていたけれど、目が覚めたら六畳一間で固い干物をしゃぶりながら消毒液のような味の安いウイスキーを一人で、たった一人で呑む羽目になっていた。孤独であった。寂しかった。なにも奇跡などなかったのである。幸福など手に入れられていなかったのである。それに気づいて30分ほど泣いた記憶があるが、泣き止んでも一人。屁をこいても一人。それを嗅ぐのも一人だった。だから僕は奇跡など信じない、と信じてこれまで生きてきたのであって、だから気合だとか、気持ちだとか、ハートだとか、そういう気のせいで奇跡を妄信するような愚か者には二度となりたくない。だから疲れた時は休んで、さぼりたい。だって失敗するのだから。失敗したらさらに絶望に陥って、ともすれば六畳一間にさえもいられないかもしらんではないか。便所とか、排水溝とか、そんなところで指をしゃぶっているかもしらんではないか。だから失敗を避けるために今僕は休みたいと切に願うのである。

休むという行為は具体的にどのようなことなのだろ。何もしないこと、とあなたは言うだろうけれども、何もしないと退屈になって、退屈という状態から脱したい、という願望がストレスを生み、ともすればやらんくてもいいような無駄なことをやった挙句、その行為が失敗を生んで、死ぬくらいの後悔を抱く可能性すらあるのである。だからといって退屈を我慢することが休むということなのだろうか、という疑問を抱くのだけれども、そうした疑問とかを心に抱くと、恐らくそうして抱かれてしまった心がストレスを抱くのだと思ふ。このような悪循環をそもそもストレスというのではないのかしらん、という悟りがさらにストレスを生むのだろうから、このような堂々巡りにだんだん腹が立ってくるのだけれども、腹が立つこと自体が立派なストレスなのである。というようなストレスを現在感じている僕は休みたいのに休めない、というストレスを抱き、今、休んでいないのである。労働し続けているのである。阿呆ではないか。

現代社会はストレスが多いという。江戸時代から見れば現代しかしらぬとんだ新参者の僕など、面倒くさいから武士に切り捨てられるのではないか。そう考えるといっそ切り捨てられたくなるが同時に死にたくない。生きたい僕は、生きるために休みたい。でも退屈がストレスになると休めない。そもそも休み方、というのを誰かから指導されたこともないので休み方を知らないのではないのだろうか。そう、僕ら現代人は休み方を知らぬのである。実に哀れなことではないか。

休み方を知らぬ自分に気づいた僕は、休みが怖いのである。休日がくると退屈に警戒しすぎて、退屈にならぬようにコミックスを読んだり、スナック菓子を食ったり、口笛を吹いたり、尻を掻いたりしすぎて、実に忙しいのである。ちっとも休まらないのである。だから非常に疲れているのである。ぜいぜいしながら日曜の深夜を迎え、瀕死の状態で月曜の朝がくるのである。

札幌から福岡へ渡り1年半が経過しようとしている。通勤列車の窓には福岡の海が見える。札幌は陸しかなかったけれど、福岡には海がある。とんこつラーメンも慣れたし、日田焼きそばはむしろ好きである。もつ鍋は未だに食っていない。水炊きも食っていない。食うことばかりが人生ではないが、今度の休みには、妻とライスカレーを食おうか。そんなことを考えながら博多駅。人と博多弁がごった返しているわき道を長い両足を短くして歩きながら、僕は今日も労働。労働というのは飯を食うための手段として必須であるが、これほど大変な手段はない。どうにかして労働をせずに飯を食う方法を考えてきたが、考えているうちに飯が食えなくなって慌てて労働して今がある。あの時余計なことを考えず、早めに労働していたら、何かに成功して、今頃本当に労働せずに食えていたかもしらん、などと考えながらデスクの椅子に尻を落とし、そうして九州弁の人と電話口で八割解読できずに話を終えるなどしている。今度の休みのライスカレーを思い浮かべながら、弁と弁の隙間で心の中に自分の言葉を刻んでゆくのである。ライスカレー食いたい。おでんもいい。チャーハンもいいな。ガパオもええやん。ばってんタコスもいいけ。うどんもうまかよ。

食うために働いて数十年。おかわりしたのは数年前。明日はラム肉の香草焼きドミグラスソース添えにしよう。妻よ、フランスパンを買って帰るよ。待ってておくれ。かしこ。



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# by hasumaro | 2018-02-14 14:47 | エッセイ
詩 その47

曇りガラス


わたしの言葉に合理性はない
非合理な感情が自分を酔わしている
自分の言葉に自分と他人を酔わすことができるかもしれないが
でも、何を飲んだのか覚えられない
何かをいつも噛み砕いている

苦しんだり、悲しんだり
そんな虚しさがいつも最後に蘇る
いつものことなのにそれまでの最中、いつも同じ酔い方で
後に引く長い後悔にさらに酔う
そうしてまた飲み込んでゆく

遠い街に来ても心はものすごく近い
それでもまだ、この手に届かないのか
感情が、本当の姿の邪魔をして
また、素直になれない
わたしはこの心を未だ言葉にできない

本当の自分の姿は一円の金にもならない
本当の自分は今日の米粒ひとつも稼げない
心を抱えてわたしは飢え死にしないために昼間を演じている
まだ体は健康だし、トイレも近くない
もう少しこのカウンターで生きのびられる

喋ることが必要だったけれど
そこに言葉は存在したのだろうか
答えのないことが喋ることならば
それまでの言葉を覚えられないのは当然のことだろう
わたしは言葉を喋っていない
現実にはない空間を透明に向かって罵った
そこに写る自分はどうだろう
目を合わせていないからわからないか
電車の窓はスピードが速いな
信号機なんて線のようだ

自分なんてシミのようだ
雨の跡と、日向の光のようだ
この中に心を思い切り吸い込んで
漏れてゆく言葉がガタンゴトンと
ガタンゴトンと

ガタンゴトンと



(2017年 怠惰)
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# by hasumaro | 2017-10-26 16:15 |
2016年、果たしてわたしは旅に出た
人生とは旅のようなものである。などとこれまで幾度となく誰かが言っていた言葉であるが僕は一度も言っていない。
一度も言っていない僕が、ほとんど旅のようなことをやる羽目になったのは何の因果なのだろうか、運命にはやはり魔の手があって、人間はそれに翻弄され、果てに気が狂い、凶悪な事態を発生させ、社会を混乱に陥れる、このような繰り返しの中にはたして僕も巻き込まれたのであろうか。否、現実は全く平和であり、むかつくことが些細にあっても飯を食って寝て起きたら放屁と一緒に忘れている程度である。
北海道札幌市からスタートした旅は、途中東京を経由し、あいだに伊豆やら横浜やらを挟んで今福岡にいる。過去昔、一瞬東京は高円寺というところに在住したことがあった以外、生まれや育ちを全部札幌で済ませてきた僕にとっては全く縁もゆかりもないこの福岡ちゅう土地は、来ることも今後去ることも初体験であり、いわば童貞のようなものである。
童貞というのは童貞をやめると童貞であったことすら忘れるくらい突然粋がる生き物で、今の僕は福岡にびびっているけれども、きっといずれ粋がるであろうことは容易に予測でき、というのもその兆しがすでにあって、例えばグルメと逆の舌を持つ僕が「博多はねぇ、みんなとんこつラーメンだと思っているようだけれども、その実うどん。しかもコシがなく、ぐだぐだしたうどんがいいんだよねぇ、知ってる?」などと知ったかぶりを演ずる始末である。去る頃にはおそらく博多の歴史などを語りかねないと今から少しぞわぞわしている。
ちなみに僕が称する旅というのを、社会というか企業というか、その業界では「転勤」というのであるが、そもそもなぜ転勤をさせようと企むのか。人は出世し、その地位や権力をもつとそれを行使したくなる生き物なのである。自分の存在意義を、権力を行使することによって部下あるいは同僚などにアッピールし、そして自分は会社にこのような人事を行ったことで貢献している、そもそも会社に貢献するために人事を考えたのだ、ということを実績として証明したいのである。
ITやらテクノロジーやらが発達し、情報などくそ田舎で鼻を掘っていても入手できる時代にわざわざ人間をその地に移動させる、ちゅうのはこれ旧式、アナログともいえなくもないが、今はマン・パワーちゅう言語もあるようで、人の能力を開発せしむるために未だ転勤ちゅう手法が正当のようにあつかわれているのかもしらん。
しらんが、転勤させられる方はたまったものではない。例えば共働きの夫婦だと妻が職を辞するかあるいは旦那が単身で転勤するか、あるいは餓鬼がいる一家は餓鬼が育つまで旦那が単身転勤するかもしくは餓鬼に学校を転校させ一家で転勤するか、持ち家の連中は家そのものをどうするか、人に貸すか売るか、安く売れたらローンだけが残るだとか、独身の男はようやく必死で女性をくどいている最中に転勤させられると途中であきらめる羽目になったりするし、転勤ひとつでともすれば人生の計画がぶち壊され、ともすれば失敗、破産、破滅に追いやられることにさえもなりかねない。転勤などこの時代、正気で「はい、します」と言う奴などいるのだろうか。少し酔っていないと「はい」などと言えぬだろう。これから成人して、社会に出て活躍したい奴らに、ここではっきり伝えておく。転勤したからといって何にも変化ないよ。転勤してもしなくてもしじみとはまぐりほどの変化もないよ。成長とかいうかもしらんが、とてつもなく成長の速度が速まるとかってないからね。転勤なんかをあてにしても実際人間などはそんなに変わらんのだよ。よく、餓鬼の分際で悪いことをやって捕まって、少年院に入れられて、出所したらちょっと自身の不良度数がレベルアップしたかのような錯覚を持つ餓鬼がいたが、転勤なんてあんなもんだよ。それよりも、その前に、まず、今を頑張れって話しだよ。転勤経験なくたって、そこそこの地域にすごい奴いっぱいいるからねこれ。まず、何事も今出来ることを頑張りなさい。今のそこから世界に君を発信させたまえ。世界はほら、つながっているのだから。むぎゅ。
転勤と言う名の暴力に責め苛まれた挙句少し卑屈になっているかもしらん僕の心は、なんら罪もないこの福岡は博多という街に最初憎しみを覚え、それから少し憎しみが和らぎ、途中夜泣きをしつつ、今は結構普通に暮らしている。別段特別なことは思わぬが、全く悪くない街なのではないかしらん。都会だし。空港近いし。食いもん美味いし。自分の成長は全く認識できぬが、街は良いところやけん、君らもくるけ?ばってん。
知っている街で知っている奴に恥を見られると赤面以上の恥辱を抱くが、知らん街で知らん奴に恥を見られても相手が知らん奴なので、知らん奴同士の恥など互いに興味がないものであり、つまり恥じさえ恥にならぬ、いわば無敵である。赤面など微塵もなく、表情ひとつ変えず恥を行える、これほどの無敵は人類にいるだろうか。いないと思う。
先日、最寄の駅で平坦な地面でなぜか躓き「あぎゃー」という奇声を発したけれども、発した僕自身が自ら周囲に「で?」と問うたほどである。ふむ、無敵である。これからどれほどここにいるか知らんが、僕はいっそ完全な無敵になりたいと願うほどであり、それから無敵になるために毎日同じ場所で必ず躓いているというのは嘘である。
僕は今年旅人になったため、ブログの更新がこの度まで遅延したが、今年最初のブログが今年最後になるかもしらんことが容易に予測できることから、あえてこのままこれを今年最後のブログとしてまた来年お目にかかれるまでの日々を、諸君らと僕とで、心をつなげて、心の手をつなぎ合って、みんなで一斉に平坦な道に出て、同時に躓き無敵になろう。ばってんそのまま転んだら痛かろうもん。かしこ。
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# by hasumaro | 2016-12-28 15:11 | エッセイ
詩 その46

Neo Nostalgia


言葉はいらないか
思いはそこにあるのか
心はあるのか
それを伝える言葉はいらないか
その先にあるのは
その先にあるのは
それを越えたものなのか

魂はあるか
それは消えずに残っているか
それは思いか
それが心なのか
その先にあるのは
その先にあるのは
それを越えたものなのか

Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia

言葉はいらないか
それを伝える言葉はいらないか
魂はあるか
ここにあるものはもういらないか 
その奥にあるか
その先にあるのか
あの先に見えるのか

Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia

Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia

Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia

Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia
Nostalgia

Nostalgia・・・





(2015年 低温)
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# by hasumaro | 2015-10-29 11:17 |
犬と僕の右足物語
心が落ち着くと頭脳の中にあらゆることが思いつく。真逆に心が落ち着かぬと何も思い浮かばん。なぜか。なぜかしらん。それは心配事、不安、懸念などがあるからである。
人間というのは生きているだけでゴミが溜まる。いちいち飯を食ったり尻を拭いたりするせいでそれらがゴミになるのだが、ゴミが溜まると捨てなくてはならず、しかしうっかり捨てるのを忘れると捨てなかった分が新しいゴミに上積みされ、ゴミが倍になる。僕の経験ではおおよそ10倍に上積みされたことがある。されたというかしたことがある。7倍あたりから「ゴミを捨てなくてはならん」ことを考えたくなくなり、頭脳の中からゴミの存在を打ち消すように心掛けたのだけれどもしかし、やはり頭脳から完全に打ち消すことが出来ず、ますます上積みされてゆくゴミの野郎を見るたび心がせかせかし、そのせかせかから逃れるべくゴミを打ち消すよう努力するのだけれども、同時にだったらとっとと捨てやがれ馬鹿野郎おれ、という自責の気持ちが湧き立ってせかせかと一緒に巨大に膨れ上がるものだからますます心が荒み、荒れ果て、とうとう朽ち果て、ゴミと併せて自分のこと自体が嫌いになり、人間というのは自分を好きにならなくては前向きに生きられぬ、というようなことを多くの歌手が唄にしているがそれは本当のことで、もはや全身を後に振り向かせたような心で数日生きる羽目になった結果、玄関、ベランダ、踊り場などがゴミで溢れかえり、おまけに匂いが充満し、僕の心はすでにヘドロのようにぐだぐだになって世を憎み呪い、すっかり屈折・偏屈した人間に出来上がっているのだからゴミというのは恐ろしい。あわわ。
以上の如き経験から心がせかせかした状態で暮らすとろくなことが起こらん、ということを悟った僕は常に心に落ち着きがあるよう、せかせかした事態を未然に防ぐよう心掛けている。ゴミは必ず指定日前日までにまとめ翌朝一番に捨てるようにしているし、えんこも朝一に済ませてから身軽になって一日に備えている。ゴミ捨てや排便を済ませずに別の事案に対応すると、ゴミや便を済ませていないという心配や不安が心に沸き立ってせかせかし、その事案を上手に解決出来ぬ。それどころか失敗して失敗したことがさらに心に上積みされてますますせかせかして仕舞いには気が病んで廃人になる。これでは駄目だよ、一人でこんななら全員だと社会が荒廃する、否、国が滅ぶ。そうならぬよう心に落ち着きを持ちたいものである。ほんと。
心を落ち着かせる方法をしばし思案後、思いついたのがふたつみっつあり、そのひとつめがまずみんなと仲良くする、ということ。というのは争いごとがあると争いごとに精神と神経を割かれ心がせかせかするから。だからまずは人々と仲良くして、仲良くすることによって得られる安堵を心に滲みこませたい。滲みこませることによってせかせかの入り込む余地をなくしたい。そうして僕は近隣の肉屋の店主にぺこりとやって、話題も無いのに「いやぁ、よく晴れますなぁ、これ」などと天候のことをきっかけに仲良くなれるよう試みたり、大して興味なさそうに「そうすね」などと返す肉屋の無愛想に実にむかつくのだけれどもここでむかついたらせかせかの思う壺であるということを併せて悟っている僕は「じゃ」などと切り上げてなんとか肉屋を暴行する前に立ち去ってそれからクリーニング屋のおばさんに「やや、どもども。晴れてますな」などと言ったのだけれども、万が一無愛想だったらむかつくので返事を待たずしてセブンイレブンに立ち寄ってアイスキャンデイを購入。レジスターのお姉ちゃんに「晴れてますな」と言ったのだけれども少し声量が足りなかったのか全く聞こえていませんてな感じで無表情のお姉ちゃん。むむ。言い直してもよいのだけれども、万が一一度目の「晴れますな」が聞こえていて、これをあえて無視しているというケースも考えられる。これを確認するにはもう一度「晴れてますな」を言えばよいのだが、しかしこれ、聞こえていたくせに最初から無視をされていたということが発覚した場合、すごくむかついてしょうがないではないか。やや、そこをはっきりせねば、はっきりせぬことによって逆にせかせかするのではないか。いやしかしはっきりさせて無視だったら取り返しのつかぬせかせかに襲われる。だがしかし、これを越えなければ本当の意味の心の落ち着きを得られないのではなかろうか。などとあらゆる思案をレジスターの前でしたのだけれども、これ以上思案続けると逆に怪しまれて、そもそも僕の晴れてますなが聞こえていない、いや無視をしているかもしれないこのお姉ちゃんにも非があるわけだと僕は思うのだけれども、このままレジスターの前で思案続ける僕だけが怪しまれるというのも不平等ではないか。平等に行くのなら、僕は晴れてますなを言った、という真実をまずは認識させる必要がある。お姉ちゃんに。がしかし、再度言ってこれ無視だった場合、僕だけがむかつく。どちらにせよ怪しまれるのも僕。むかつくのも僕。僕だけが損ではないか。なんだこの不平等は。なんたる不条理。などとこの理不尽にわなないているうちにさらに時間が経過しさらには僕の背後に人すら並んでいる。アイスキャンディは200円。そんなものは一瞬で支払い可能である。が、思案のためあえて200円の支払いを引き伸ばしているのだ。引き伸ばし始めてすでに10秒は経過しただろうか。ああ既にお姉ちゃんは僕をすっかり怪しんでいるように見える。ちゅうか、僕から言わせればお前が悪いのだ。普通、晴れてますなと言ったら「そうですね。お天気良いですね。ごきげんよう」くらいの返事があってしかるべきではないか。それがないから僕はお前に怪しまれる事態になったのではないのか。つまり、僕から言わせれば、お前のミスで僕が悪者になった。すべての罪はお前である。僕はお前に罰を与える権利がある。などとさらに数秒が経過。ああもう、これ以上怪しまれたくはない。ちゅうか僕は何一つ悪くない。ちゅうか、言いたくないけれどもとっくに心もせかせかしている。ぬああ。僕はお姉ちゃんの顔面目掛けて200円を放り投げ、ヤンキーのようにスラックスのポケットに両手を突っ込んで、少しがに股にして歩き出し店を出た。帰りしな肉屋が干した魚のような顔で中空を見つめていたので「邪魔じゃおらぁ」などとヤンキーが真面目なクラスメイトに理不尽に凄むような感じを表現し、「え?」などと放心する肉屋をにらみ付けて家路を急いだのである。すごく早足で。果てに駆け足で。
人間ちゅうのは愚かである。人間がこの世でコミュニケーションできるのは人間しかいないのに、それなのに人間同士ちゅうのはどこまでも分かり合えない。だから犬や猫や雉を飼って「動物って罪ないよね」などと言い逃れる輩がいるが、あんなのは愚かの極みである。そういって動物を人間社会のルールに縛りつけて無理くり安堵を得ようなんざぁこれ、偽善者の典型である。自身の引っ込み思案を棚に上げて動物を手前のコンプレックスに巻き込むなんてのは、虐待はおろかDVではないか。だから僕は動物になど頼らん。ちゅうか動物は動物で暮らせばよいのだ。山とかで。僕ら人間は町でよろしくやればいい。町を作ったのも人間なんだし、動物だってわざわざ人間臭い、えんこ臭いところで暮らさなくたっていいではないか。お互いよろしくやろうぜ。というようなことを考えたのは家路を急いで辿り着いた自宅マンションの玄関口で近所の飼い犬が僕ばかりを吼えるせいである。なぜにこの馬鹿犬は僕のみを吼えるのか。そんなに吼えたいのならもっと色んな人間に沢山吼えればよいものを、僕のみに沢山吼えるのである。このような馬鹿犬の飼い主もきっと馬鹿であろう、と確信して飼い主を見てみると、似つかわしくないピンク色の若者風情のスウェットのセットアップを着込んだ初老の婦人。加えてさも吼えた飼い犬ではなく、吼えられた僕を軽蔑するかのように「よしよし、えらいね。一杯吼えてえらいね」などと言って馬鹿犬の額をなでていやがるのだ。僕は人間です。あなたも。だったら犬にばかりえこひいきしないで、吼えられた人間を少しはかばう、ちゅうか無闇に吼えまくる犬を注意しろよ。だから僕ら人間同士が仲良くなれない、これが要因ではないか。犬がそんなに偉いのか。吼えられておびえる僕は可愛そうではないのか。僕はここの辺りをこの婆にわからせたい。僕は本当は人間と仲良くしたい。婆に「晴れてますな」と言って婆に「ごきげんよう」などと言われたい。なのにこの有様はなんたることか。吼える犬が偉いのなら吼えられる僕が馬鹿なのか。お前はそう言いたいのか。僕のせかせかはとうとうむかむかに変わった。この野郎。なめやがって。ふぁっ。と婆に襲い掛かろうと決意し踵を返して突進した時、すでに婆も犬もなく、結構遠くで犬はえんこし、婆はそれを拾い上げるなどしていた。なまら暑い夏の真昼。陽炎の中で犬と婆がたゆたっている。それを見つめる僕の両目からふたすじの涙の如きが流れた。悲しさではない。無念だ。人間はなしてこうも分かり合えないのか。平和とはなんなのか。戦後70年。世界では未だ戦争が続く。殺し合いを行っている。殺し合いの果てにあるのはなんなのか。人間は何のために殺し合うことを選択するのか。無力な僕らはただそれを見つめるしかないのか。過ぎ去る景色の一部としてただ両目の中を流れてゆくだけなのだろうか。僕はただ陽炎の中を見つめた。陽炎の中で婆が振り返り、そして僕を見つめる。ふたりは真夏の真昼、たゆたいながら見つめあった。陽炎の中で見つめあった。犬が吼えた。僕に向かって僕のみを吼えた。「うるせぇ馬鹿犬っ」叫んだ瞬間陽炎は止み、そこには犬の姿も婆の姿もなかった。何もかもが消えていた。「ごきげんよう」どこからかそんな声が聞こえた気がした。
心が落ち着くとあらゆることが思いつく。逆に心がせかせかするのはたったひとつの物事を解決出来ず、解決するのを先延ばしにして怠け、結局怠けた分だけさらなる物事が上積みされ、果てには身動きできなくなってせかせかに心が支配される。レイプされる。心を落ち着かせるためには、ひとつひとつの物事をひとつひとつ解決してゆくことが大事。つまり人は怠けてはいかんのだ。怠けず、頭脳をフルに回転させていると色んなアイデアが沸き立って、ともすれば世界の戦争紛争も解決できるような画期的なアイデアさえ思いつくかもしらん。怠けたまま肉屋やお姉ちゃんに天候のことを言っても無視されるに決まっている。そら犬も吼えるだろう。僕は怠けていた。怠けることをまずやめよう、と決意。そして解決すべき物事のひとつめを考えたのだけれどもなんと思い浮かばぬというではないか。ちゅうことは、せかせかの原因は最初から別のことで、つまり僕は僕のせかせかの原因を理解していないということになる。これはやばいと思う。というのは、人は人として生まれた理由というのを欲しがる生き物だ。生まれた時点で人は餓鬼なので理由を理解できんが、その後「これが理由では?」などと理由を作り、いわゆるアイデンティティとなる。がしかし、僕はせかせかの理由がわからん。つまりアイデンティティがない。存在意義がない。存在理由がない、ということになる。何のためにせかせかしているのかわからん男に心もへちまもらっきょもない。ともすればこれからもただひたすらせかせかし続けなくてはならん。生まれた理由も知らず、全うな人生などあるはずもない。現状の自分を認めたくないあまりに自分探しと称して放浪する人があるが、あれは実に愚かしく哀れな行為とあざ笑って尻を掻いていたが、僕の場合はせかせか探しをしないといけない。僕のせかせかは何なのか。自分を探すのはなしてか。現状の自分が阿呆だとそら認めたくない気持ちはわかる。自分に自信がないと沢山失敗し損もするだろう。失敗に教訓を得ず、さらに失敗を上積みしてゆくと結果阿呆になる。阿呆とは自信を失った人の成れの果てなのか。ということは自分探しとは自分の自信探しであり、逆から言うと自信がないから現状を認めたくない。僕のせかせかは自信のなさがひるがえり、仕舞いに諦めとなって怠けを生んだ。自信を作る手順が面倒臭くなったのだ。しかし心はそれを抵抗した。心は「諦めちゃダメ、ゼッタイ」と僕に訴え、励ましていたのだ。しかし諦めたかった僕との狭間でせかせかを生んだのではないか。心の訴え、励ましを、僕は無視していたのだ。そら肉屋もお姉ちゃんにも無視されるだろう。犬に吼えられてしかるべきである。ああ、僕という男は何たる愚かな男なのだろうか。むしろこの愚かさこそが僕のアイデンティティではないか。つまり僕は愚かになるために生まれてきた、ということになる。これはやばくない? とてもやばくない? うん、やばいと思う。僕はこんな男になりたくは無かった。出来ることなら立派になりたかった。今からでも遅くないのなら、すぐさま立派になりたい。そのためにはまず自分の自信を作り、せかせかを彼方へ放り捨てる必要がある。すぐさま自信を作る必要があるため、すごく身近な自信を探すことにした。身近な自信、といえばなんだろ、すぐさま思いつくことといったら、犬に必ず吼えられる、ことしか思い浮かばない、なんちゅう貧相な自信だ。ちゅうかこれ、そもそも自信と言えるのかわからんが、僕にはそれを問うてる時間がない。とりあえず僕は先ほどの犬の方角に向かって走り出した。婆も犬もとっくにいない方角に向かって走り出した。走っている最中に景色が歪み、それはさっき見たあの陽炎だった。陽炎の中に僕は全身を放り出し、必死にもがいた。木が歪み、歩道が歪んだ。雑草がたゆたい、隣接するパチンコ店、カーリング場などが一斉に陽炎の中に吸い込まれてゆく。その中に肉屋がいた。お姉ちゃんがいた。みんな笑顔に見える。陽炎の中でたゆたい、みんな笑顔になっている。僕も笑った。あえて大げさに笑った。やはり人間は、人類は世界の安堵を作るのだ。僕は感動のあまり泣いた。とても泣いた。そして痛かった。犬が僕の右足を噛んでいた。婆は犬を撫でていた。僕は全員をぶん殴った。かしこ。
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# by hasumaro | 2015-07-30 13:18 | エッセイ



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