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アナーキー・イン・ザ・納税
先のオリンピックで、国母くんという青年が腰パンというファッションに身を投じて日本国民から「けしからん」と言われて話題になっていた。
腰パンというと僕が連想するのは「こしあん」である。こしあんをパンに包んだ、所謂菓子パンのようなものを想像するのだが、もちろんこれとは違って、国母くんのやったファッションというのはつまり臀部が露わになるほどスラックスをずり下げ、限りなくだらしなく、外国語で表現するとルーズに穿きこなす、こなしているのかどうかわからんが、現代の価値観というものからいうとたぶんこなしており、さらには臀部がはみ出ているということはその逆側、所謂陰毛陰茎にいたる箇所まではみ出ている恐れもあり、これは「けしからん」というよりはすでに猥褻であり、僕のような大人がやると逮捕される恐れがあることからあまり図に乗って真似をしないほうが良いと思われるのである。
若者のファッションというやつは大抵大人から嫌われるものである。これがオリンピックなんつって国の代表として臀部をはみ出さすとさらにその批判は強まるだろう。日の丸付けて尻を出しているんだから当然ともいえるが、問題はなぜに国母くんが尻を出したか、ということであるが、実際理由というのは簡単で、ただ目立ちたかったのだろう。あるいは国の代表らしくキチンとしていないところが俺のアイデンティティ、というような過剰な自意識が彼を独走させたのだと思ふ。そんで批判されて謝ることになったのだが、「何だよ、服くれぇでうるせぇな馬鹿野朗」などと思い、その思いが尻以上に露わとなったためさらに批判を受ける羽目になったのであるから全くもって散々である。
僕には国母くんの言いたいことがわかる。その気持ちもわかる。きっと「何が国の代表だ馬鹿野朗。俺はオリンピックなんてどうでもいいんだよ」ということを言いたいのに違いなく、「俺は周囲の良い子ちゃんぶってる奴らとは違って、本当の自分、素のままの自分を貫いているんだよ」という気持ちの表れなのである。19歳の青年らしい、思春期の主張である。僕が19歳の頃はどうだったかしらん?振り返るだけでもおぞましく、まさに国母的、いや国母並、いやそれ以上に屈折した思春期を生きていた。振り返ると羞恥心というものが毛穴中から溢れ出て、肉体すべてが痒くなり、不意に思い起こして寝床から飛び起きるほどの悪夢に似た過去の苦い記憶になっている。例えば好みの婦女子に好んでいることを悟られたくないあまりに示した真逆の態度などはもう筆舌に絶するくらいおぞましい姿として脳味噌の脇に張り付いており、その時の心の内などは一言でいうと「あほ」である。本当は大好きなのに「お前なんて眼中にないぜ。なぜならこの世の女は一人じゃねぇからな」などと嘯いてはみたが、その後自分が一人きりになってしまうことなど想像もせずにさらに格好つけて、挙句目当ての婦女子が別の男と恋仲になっているのを知ると今度その婦女子を逆恨みし、「あんな女、俺ぁもともと興味ないからよ」なんて吐き捨ててはみたものの、自室で、ともすれば号泣する羽目になるのだからあほを通り過ぎてとんだ屁垂れ野朗である。
人間ちゅう生き物は思春期の生き方次第で決まる。僕のように過去の災いが今の報いとなる人間は思春期をやや失敗がちに生きてしまったからで、若き日の恥の後遺症というものは実に長い治療が必要となる。そもそも「格好をつけたい」という思いから失敗をしたわけで、その思いとはまさしく目立ちたかったからに他ならぬ。対象者に対するアッピールとして格好つけてみたが、その対象者が他と恋仲になってしまうと僕のアッピールは目的と目標を失い、ただの恥に成り果てる。国母くんも本当はオリンピックに選ばれることを望んでいたくせに、しかし格好をつけたい、目立ちたい、という思いからスラックスをずり下げて臀部を露わにしたのだとすると、結果別の意味で目立ってしまったということになり、僕と同じ失敗を国レベルでやってしまったという意味では僕以上の恥を得たに違いない。しかし彼はまだ思春期の最中だろう。恥を恥と認めず、まだ頑張る年齢である。「別に、これからも自分のスタイルを貫くだけっす」などといって尻を出すのである。たぶん。
格好をつけた上にいかに目立つことに成功するか、ということを考えた場合、これはまず規則というものを守らない、ということが挙げられる。規則を守ると多くの人と同じになってしまうので、例えば僕の学生の頃の場合は制服を改造してみたりする。そうして「俺は規則なんて関係ねぇ。そんなものは大人が勝手に作ったもので、俺は自由だ」というような意味の発言を繰り返し行うのだ。そうするとおのずと目立ち、周囲の者にあらゆる意味で注目されるようになるのだ。しかし一度目立つことに成功すると今度、決して弱音を吐けぬようになる。なぜなら改造した制服を着ているくせに喧嘩を売られて逃げたりなどしたら格好が悪いからである。だから喧嘩を買わねばならなく、しかもこの場合、自分と同じように制服を改造している者が相手だったら敗北も視野に入れられる、いわば余裕が出来るが、しかし一方で自分とはまったく別の、制服など改造せずに規則を守っている者が相手の場合、絶対に負けられぬプレッシャーに襲われるのである。この場合敗北すると自分の学生生活の命取りになるのだ。「あいつは制服を改造しているくせに喧嘩弱いぜ」などと噂が流れたらもう、生き恥である。だから多少卑怯な手を使ってでも勝たねばならず、そもそも制服を改造するということは目立つ以上に威嚇の意味もあることから、初めから真面目な学生にびびられていないと駄目で、予め喧嘩にまで発展せぬように予防しておかないといかんのだ。ヤンキーというのも実に大変なスタイルで、苦労も多いのだ。それた分だけ話を戻すと、国母くんもきっと格好をつけた上に目立ちたくて尻を出したものの、国民に批判されて「うるせぇな」と思い、そうして終わった後もやはり「尻を出すのが俺のスタイル」などと言って頑張っているのである。大変である。
僕の場合、こうした長々とブログを書き綴るくらいの才能にしか恵まれなかったが、しかし国母くんは違う。彼は国の代表として選ばれる才能があった。「国なんて関係ねぇ」などと駄々をこねても、オリンピックが国の代表同士が争うスポーツの祭典である以上、国というものがすごく関係しているのだ。すなわち僕と国母くんの大いなる違いは、僕は学生生活の範囲で目立つこことに全力を注いだが、しかし彼の場合、国の代表の中でそれをやってもうた。たかが平民、ともすれば貧民の学生生活の一部など国民は注目しない。しかし国の代表となればヤクザでも注目する。そんないわば公の場で彼はかつての僕のようなメンタリティを露わにしてもうたの。目立った以上の批判、批難、さらには罵声の数々を浴びるのも致し方ないといえる。それでも「いちいち国家だの品格だの持ち出すなよ、国母は国母のスタイルでいいんだよ」などと庇ってくれた国民も結構いたかもしらん。しらんがそれはあてにならない。なぜなら彼らは学生と国のレベルを一緒だと思っているからである。学生というのは制服を改造した程度で、例えば国民規模で批判されるような自体にはならんではないか。せいぜいガッコのセンセとか近所のちょっとうるさいおっさんにしかられる程度である。しかしオリンピック選手ともなればそら国民規模で注目されるものであり、一億二千万も日本人がいるのなら、それはそれはあらゆる種類の批判があっても仕方のないことである。「俺たちの税金で尻出しやがって腐れガキ」などと罵声を浴びせる者も多々あるだろう。だからせめて公の場ではスラックス上げようぜ、って思うのだけれどもこれ、それをやってしまっては彼の目立ちたい、格好をつけたい、という欲望が満たされない。だったら開き直って「俺は自由だ。ズボンを下げたっていいのだ」と言ってしまうと、「ズボンを下げたいならオリンピック出るな」などと言われかねない。それはまずい。なぜならオリンピックに出場する上で目立つことが彼の存在意義だから。実に面倒臭いことこの上ないが、僕の才能というのは実はもうひとつあって、このように些細なことをこと細かく勝手に考えて仕舞いに面倒臭くなることである。そもそも国母くん自体が別段目立ちたいとも格好つけたいとも思わず、ただ臀部と局部を露わにすることが趣味の人なのかもしらんし、思春期ったって、普通に大学に通学して好きな山でつるつる滑っているだけで満足している人なのかもしらん。そういうことを不意に考えると、何だか僕が一人で妄想して、勝手に想像して、身勝手に面倒臭くなっただけで、実にあほらしい。この場合国母くんにあほらしいわけではなく、自分という男があほらしくなるのであまり考えないようにしよ。うん。
例えば僕が片田舎の分校とかにいて、生徒数もふたりとかで、先生もひとりとかだったらこれ、制服を改造しても様にならんかったろう。なにせ人が少ないので目立つことをやっても注目してくれる人がそもそもいない。ひとりやふたりのために格好つけても、むしろ格好つけること自体が格好悪く感じてしまう。そのひとりやふたりが近所の幼児とお婆さんだった場合、ますます無様である。オリンピックに出られない腰パンの若者はそこら中に無数に存在するが、オリンピックに出た腰パンは彼しかいない。そういう意味では彼は実に良く目立ったわけで、成功者である。街の中の雑踏に塗れて腰パンしたって特別な存在にはなれない。オリンピックで腰パンするから意味があるのである。何の意味かは知らん。だったらオリンピック選手が腰パンしたっていいじゃん。ということになるのか。あまりいいということにはならん気がするが、だったらそもそも19歳の頃の僕のような若者が日本に増えた方がいいと思うか、そら思わん。僕のような若者が増えて、その中からオリンピックに出場する奴が現れると必ず腰パンするからである。僕のような若者はきっと目立ちたい、格好つけたいがために、「国なんて関係ねぇ。俺は俺のスタイルを貫くぜ」などと戯言を言うに決まっているのである。こういう奴が図に乗って、本当はちょっと注目されたいという下心でむらむらしているくせに、それを悟られぬよう鼻の穴を閉じて尻の穴を開くのである。こんな奴は国の代表にしたらいかん。周囲の馬鹿が阿呆になるだけだ。自由を履き違えやがってお前ら、そんなに自由になりたいのなら無法地帯へゆけ。自由に命のやり取りをしろ。弾の下でズボンを下げろ。それかいっそ無人島に移住しろ。猿と洞穴で踊れ。だんだんむかついてきた僕はズボンを腰パンならぬ膝パンくらいにずり下げて、こしあんパンを買いに近所のパン屋のドアーを開けた途端、女性店員が悲鳴をあげたのである。かしこ。
by hasumaro | 2010-03-16 16:13 | エッセイ
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