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犬と僕の右足物語
心が落ち着くと頭脳の中にあらゆることが思いつく。真逆に心が落ち着かぬと何も思い浮かばん。なぜか。なぜかしらん。それは心配事、不安、懸念などがあるからである。
人間というのは生きているだけでゴミが溜まる。いちいち飯を食ったり尻を拭いたりするせいでそれらがゴミになるのだが、ゴミが溜まると捨てなくてはならず、しかしうっかり捨てるのを忘れると捨てなかった分が新しいゴミに上積みされ、ゴミが倍になる。僕の経験ではおおよそ10倍に上積みされたことがある。されたというかしたことがある。7倍あたりから「ゴミを捨てなくてはならん」ことを考えたくなくなり、頭脳の中からゴミの存在を打ち消すように心掛けたのだけれどもしかし、やはり頭脳から完全に打ち消すことが出来ず、ますます上積みされてゆくゴミの野郎を見るたび心がせかせかし、そのせかせかから逃れるべくゴミを打ち消すよう努力するのだけれども、同時にだったらとっとと捨てやがれ馬鹿野郎おれ、という自責の気持ちが湧き立ってせかせかと一緒に巨大に膨れ上がるものだからますます心が荒み、荒れ果て、とうとう朽ち果て、ゴミと併せて自分のこと自体が嫌いになり、人間というのは自分を好きにならなくては前向きに生きられぬ、というようなことを多くの歌手が唄にしているがそれは本当のことで、もはや全身を後に振り向かせたような心で数日生きる羽目になった結果、玄関、ベランダ、踊り場などがゴミで溢れかえり、おまけに匂いが充満し、僕の心はすでにヘドロのようにぐだぐだになって世を憎み呪い、すっかり屈折・偏屈した人間に出来上がっているのだからゴミというのは恐ろしい。あわわ。
以上の如き経験から心がせかせかした状態で暮らすとろくなことが起こらん、ということを悟った僕は常に心に落ち着きがあるよう、せかせかした事態を未然に防ぐよう心掛けている。ゴミは必ず指定日前日までにまとめ翌朝一番に捨てるようにしているし、えんこも朝一に済ませてから身軽になって一日に備えている。ゴミ捨てや排便を済ませずに別の事案に対応すると、ゴミや便を済ませていないという心配や不安が心に沸き立ってせかせかし、その事案を上手に解決出来ぬ。それどころか失敗して失敗したことがさらに心に上積みされてますますせかせかして仕舞いには気が病んで廃人になる。これでは駄目だよ、一人でこんななら全員だと社会が荒廃する、否、国が滅ぶ。そうならぬよう心に落ち着きを持ちたいものである。ほんと。
心を落ち着かせる方法をしばし思案後、思いついたのがふたつみっつあり、そのひとつめがまずみんなと仲良くする、ということ。というのは争いごとがあると争いごとに精神と神経を割かれ心がせかせかするから。だからまずは人々と仲良くして、仲良くすることによって得られる安堵を心に滲みこませたい。滲みこませることによってせかせかの入り込む余地をなくしたい。そうして僕は近隣の肉屋の店主にぺこりとやって、話題も無いのに「いやぁ、よく晴れますなぁ、これ」などと天候のことをきっかけに仲良くなれるよう試みたり、大して興味なさそうに「そうすね」などと返す肉屋の無愛想に実にむかつくのだけれどもここでむかついたらせかせかの思う壺であるということを併せて悟っている僕は「じゃ」などと切り上げてなんとか肉屋を暴行する前に立ち去ってそれからクリーニング屋のおばさんに「やや、どもども。晴れてますな」などと言ったのだけれども、万が一無愛想だったらむかつくので返事を待たずしてセブンイレブンに立ち寄ってアイスキャンデイを購入。レジスターのお姉ちゃんに「晴れてますな」と言ったのだけれども少し声量が足りなかったのか全く聞こえていませんてな感じで無表情のお姉ちゃん。むむ。言い直してもよいのだけれども、万が一一度目の「晴れますな」が聞こえていて、これをあえて無視しているというケースも考えられる。これを確認するにはもう一度「晴れてますな」を言えばよいのだが、しかしこれ、聞こえていたくせに最初から無視をされていたということが発覚した場合、すごくむかついてしょうがないではないか。やや、そこをはっきりせねば、はっきりせぬことによって逆にせかせかするのではないか。いやしかしはっきりさせて無視だったら取り返しのつかぬせかせかに襲われる。だがしかし、これを越えなければ本当の意味の心の落ち着きを得られないのではなかろうか。などとあらゆる思案をレジスターの前でしたのだけれども、これ以上思案続けると逆に怪しまれて、そもそも僕の晴れてますなが聞こえていない、いや無視をしているかもしれないこのお姉ちゃんにも非があるわけだと僕は思うのだけれども、このままレジスターの前で思案続ける僕だけが怪しまれるというのも不平等ではないか。平等に行くのなら、僕は晴れてますなを言った、という真実をまずは認識させる必要がある。お姉ちゃんに。がしかし、再度言ってこれ無視だった場合、僕だけがむかつく。どちらにせよ怪しまれるのも僕。むかつくのも僕。僕だけが損ではないか。なんだこの不平等は。なんたる不条理。などとこの理不尽にわなないているうちにさらに時間が経過しさらには僕の背後に人すら並んでいる。アイスキャンディは200円。そんなものは一瞬で支払い可能である。が、思案のためあえて200円の支払いを引き伸ばしているのだ。引き伸ばし始めてすでに10秒は経過しただろうか。ああ既にお姉ちゃんは僕をすっかり怪しんでいるように見える。ちゅうか、僕から言わせればお前が悪いのだ。普通、晴れてますなと言ったら「そうですね。お天気良いですね。ごきげんよう」くらいの返事があってしかるべきではないか。それがないから僕はお前に怪しまれる事態になったのではないのか。つまり、僕から言わせれば、お前のミスで僕が悪者になった。すべての罪はお前である。僕はお前に罰を与える権利がある。などとさらに数秒が経過。ああもう、これ以上怪しまれたくはない。ちゅうか僕は何一つ悪くない。ちゅうか、言いたくないけれどもとっくに心もせかせかしている。ぬああ。僕はお姉ちゃんの顔面目掛けて200円を放り投げ、ヤンキーのようにスラックスのポケットに両手を突っ込んで、少しがに股にして歩き出し店を出た。帰りしな肉屋が干した魚のような顔で中空を見つめていたので「邪魔じゃおらぁ」などとヤンキーが真面目なクラスメイトに理不尽に凄むような感じを表現し、「え?」などと放心する肉屋をにらみ付けて家路を急いだのである。すごく早足で。果てに駆け足で。
人間ちゅうのは愚かである。人間がこの世でコミュニケーションできるのは人間しかいないのに、それなのに人間同士ちゅうのはどこまでも分かり合えない。だから犬や猫や雉を飼って「動物って罪ないよね」などと言い逃れる輩がいるが、あんなのは愚かの極みである。そういって動物を人間社会のルールに縛りつけて無理くり安堵を得ようなんざぁこれ、偽善者の典型である。自身の引っ込み思案を棚に上げて動物を手前のコンプレックスに巻き込むなんてのは、虐待はおろかDVではないか。だから僕は動物になど頼らん。ちゅうか動物は動物で暮らせばよいのだ。山とかで。僕ら人間は町でよろしくやればいい。町を作ったのも人間なんだし、動物だってわざわざ人間臭い、えんこ臭いところで暮らさなくたっていいではないか。お互いよろしくやろうぜ。というようなことを考えたのは家路を急いで辿り着いた自宅マンションの玄関口で近所の飼い犬が僕ばかりを吼えるせいである。なぜにこの馬鹿犬は僕のみを吼えるのか。そんなに吼えたいのならもっと色んな人間に沢山吼えればよいものを、僕のみに沢山吼えるのである。このような馬鹿犬の飼い主もきっと馬鹿であろう、と確信して飼い主を見てみると、似つかわしくないピンク色の若者風情のスウェットのセットアップを着込んだ初老の婦人。加えてさも吼えた飼い犬ではなく、吼えられた僕を軽蔑するかのように「よしよし、えらいね。一杯吼えてえらいね」などと言って馬鹿犬の額をなでていやがるのだ。僕は人間です。あなたも。だったら犬にばかりえこひいきしないで、吼えられた人間を少しはかばう、ちゅうか無闇に吼えまくる犬を注意しろよ。だから僕ら人間同士が仲良くなれない、これが要因ではないか。犬がそんなに偉いのか。吼えられておびえる僕は可愛そうではないのか。僕はここの辺りをこの婆にわからせたい。僕は本当は人間と仲良くしたい。婆に「晴れてますな」と言って婆に「ごきげんよう」などと言われたい。なのにこの有様はなんたることか。吼える犬が偉いのなら吼えられる僕が馬鹿なのか。お前はそう言いたいのか。僕のせかせかはとうとうむかむかに変わった。この野郎。なめやがって。ふぁっ。と婆に襲い掛かろうと決意し踵を返して突進した時、すでに婆も犬もなく、結構遠くで犬はえんこし、婆はそれを拾い上げるなどしていた。なまら暑い夏の真昼。陽炎の中で犬と婆がたゆたっている。それを見つめる僕の両目からふたすじの涙の如きが流れた。悲しさではない。無念だ。人間はなしてこうも分かり合えないのか。平和とはなんなのか。戦後70年。世界では未だ戦争が続く。殺し合いを行っている。殺し合いの果てにあるのはなんなのか。人間は何のために殺し合うことを選択するのか。無力な僕らはただそれを見つめるしかないのか。過ぎ去る景色の一部としてただ両目の中を流れてゆくだけなのだろうか。僕はただ陽炎の中を見つめた。陽炎の中で婆が振り返り、そして僕を見つめる。ふたりは真夏の真昼、たゆたいながら見つめあった。陽炎の中で見つめあった。犬が吼えた。僕に向かって僕のみを吼えた。「うるせぇ馬鹿犬っ」叫んだ瞬間陽炎は止み、そこには犬の姿も婆の姿もなかった。何もかもが消えていた。「ごきげんよう」どこからかそんな声が聞こえた気がした。
心が落ち着くとあらゆることが思いつく。逆に心がせかせかするのはたったひとつの物事を解決出来ず、解決するのを先延ばしにして怠け、結局怠けた分だけさらなる物事が上積みされ、果てには身動きできなくなってせかせかに心が支配される。レイプされる。心を落ち着かせるためには、ひとつひとつの物事をひとつひとつ解決してゆくことが大事。つまり人は怠けてはいかんのだ。怠けず、頭脳をフルに回転させていると色んなアイデアが沸き立って、ともすれば世界の戦争紛争も解決できるような画期的なアイデアさえ思いつくかもしらん。怠けたまま肉屋やお姉ちゃんに天候のことを言っても無視されるに決まっている。そら犬も吼えるだろう。僕は怠けていた。怠けることをまずやめよう、と決意。そして解決すべき物事のひとつめを考えたのだけれどもなんと思い浮かばぬというではないか。ちゅうことは、せかせかの原因は最初から別のことで、つまり僕は僕のせかせかの原因を理解していないということになる。これはやばいと思う。というのは、人は人として生まれた理由というのを欲しがる生き物だ。生まれた時点で人は餓鬼なので理由を理解できんが、その後「これが理由では?」などと理由を作り、いわゆるアイデンティティとなる。がしかし、僕はせかせかの理由がわからん。つまりアイデンティティがない。存在意義がない。存在理由がない、ということになる。何のためにせかせかしているのかわからん男に心もへちまもらっきょもない。ともすればこれからもただひたすらせかせかし続けなくてはならん。生まれた理由も知らず、全うな人生などあるはずもない。現状の自分を認めたくないあまりに自分探しと称して放浪する人があるが、あれは実に愚かしく哀れな行為とあざ笑って尻を掻いていたが、僕の場合はせかせか探しをしないといけない。僕のせかせかは何なのか。自分を探すのはなしてか。現状の自分が阿呆だとそら認めたくない気持ちはわかる。自分に自信がないと沢山失敗し損もするだろう。失敗に教訓を得ず、さらに失敗を上積みしてゆくと結果阿呆になる。阿呆とは自信を失った人の成れの果てなのか。ということは自分探しとは自分の自信探しであり、逆から言うと自信がないから現状を認めたくない。僕のせかせかは自信のなさがひるがえり、仕舞いに諦めとなって怠けを生んだ。自信を作る手順が面倒臭くなったのだ。しかし心はそれを抵抗した。心は「諦めちゃダメ、ゼッタイ」と僕に訴え、励ましていたのだ。しかし諦めたかった僕との狭間でせかせかを生んだのではないか。心の訴え、励ましを、僕は無視していたのだ。そら肉屋もお姉ちゃんにも無視されるだろう。犬に吼えられてしかるべきである。ああ、僕という男は何たる愚かな男なのだろうか。むしろこの愚かさこそが僕のアイデンティティではないか。つまり僕は愚かになるために生まれてきた、ということになる。これはやばくない? とてもやばくない? うん、やばいと思う。僕はこんな男になりたくは無かった。出来ることなら立派になりたかった。今からでも遅くないのなら、すぐさま立派になりたい。そのためにはまず自分の自信を作り、せかせかを彼方へ放り捨てる必要がある。すぐさま自信を作る必要があるため、すごく身近な自信を探すことにした。身近な自信、といえばなんだろ、すぐさま思いつくことといったら、犬に必ず吼えられる、ことしか思い浮かばない、なんちゅう貧相な自信だ。ちゅうかこれ、そもそも自信と言えるのかわからんが、僕にはそれを問うてる時間がない。とりあえず僕は先ほどの犬の方角に向かって走り出した。婆も犬もとっくにいない方角に向かって走り出した。走っている最中に景色が歪み、それはさっき見たあの陽炎だった。陽炎の中に僕は全身を放り出し、必死にもがいた。木が歪み、歩道が歪んだ。雑草がたゆたい、隣接するパチンコ店、カーリング場などが一斉に陽炎の中に吸い込まれてゆく。その中に肉屋がいた。お姉ちゃんがいた。みんな笑顔に見える。陽炎の中でたゆたい、みんな笑顔になっている。僕も笑った。あえて大げさに笑った。やはり人間は、人類は世界の安堵を作るのだ。僕は感動のあまり泣いた。とても泣いた。そして痛かった。犬が僕の右足を噛んでいた。婆は犬を撫でていた。僕は全員をぶん殴った。かしこ。
by hasumaro | 2015-07-30 13:18 | エッセイ
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