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2016年、果たしてわたしは旅に出た
人生とは旅のようなものである。などとこれまで幾度となく誰かが言っていた言葉であるが僕は一度も言っていない。
一度も言っていない僕が、ほとんど旅のようなことをやる羽目になったのは何の因果なのだろうか、運命にはやはり魔の手があって、人間はそれに翻弄され、果てに気が狂い、凶悪な事態を発生させ、社会を混乱に陥れる、このような繰り返しの中にはたして僕も巻き込まれたのであろうか。否、現実は全く平和であり、むかつくことが些細にあっても飯を食って寝て起きたら放屁と一緒に忘れている程度である。
北海道札幌市からスタートした旅は、途中東京を経由し、あいだに伊豆やら横浜やらを挟んで今福岡にいる。過去昔、一瞬東京は高円寺というところに在住したことがあった以外、生まれや育ちを全部札幌で済ませてきた僕にとっては全く縁もゆかりもないこの福岡ちゅう土地は、来ることも今後去ることも初体験であり、いわば童貞のようなものである。
童貞というのは童貞をやめると童貞であったことすら忘れるくらい突然粋がる生き物で、今の僕は福岡にびびっているけれども、きっといずれ粋がるであろうことは容易に予測でき、というのもその兆しがすでにあって、例えばグルメと逆の舌を持つ僕が「博多はねぇ、みんなとんこつラーメンだと思っているようだけれども、その実うどん。しかもコシがなく、ぐだぐだしたうどんがいいんだよねぇ、知ってる?」などと知ったかぶりを演ずる始末である。去る頃にはおそらく博多の歴史などを語りかねないと今から少しぞわぞわしている。
ちなみに僕が称する旅というのを、社会というか企業というか、その業界では「転勤」というのであるが、そもそもなぜ転勤をさせようと企むのか。人は出世し、その地位や権力をもつとそれを行使したくなる生き物なのである。自分の存在意義を、権力を行使することによって部下あるいは同僚などにアッピールし、そして自分は会社にこのような人事を行ったことで貢献している、そもそも会社に貢献するために人事を考えたのだ、ということを実績として証明したいのである。
ITやらテクノロジーやらが発達し、情報などくそ田舎で鼻を掘っていても入手できる時代にわざわざ人間をその地に移動させる、ちゅうのはこれ旧式、アナログともいえなくもないが、今はマン・パワーちゅう言語もあるようで、人の能力を開発せしむるために未だ転勤ちゅう手法が正当のようにあつかわれているのかもしらん。
しらんが、転勤させられる方はたまったものではない。例えば共働きの夫婦だと妻が職を辞するかあるいは旦那が単身で転勤するか、あるいは餓鬼がいる一家は餓鬼が育つまで旦那が単身転勤するかもしくは餓鬼に学校を転校させ一家で転勤するか、持ち家の連中は家そのものをどうするか、人に貸すか売るか、安く売れたらローンだけが残るだとか、独身の男はようやく必死で女性をくどいている最中に転勤させられると途中であきらめる羽目になったりするし、転勤ひとつでともすれば人生の計画がぶち壊され、ともすれば失敗、破産、破滅に追いやられることにさえもなりかねない。転勤などこの時代、正気で「はい、します」と言う奴などいるのだろうか。少し酔っていないと「はい」などと言えぬだろう。これから成人して、社会に出て活躍したい奴らに、ここではっきり伝えておく。転勤したからといって何にも変化ないよ。転勤してもしなくてもしじみとはまぐりほどの変化もないよ。成長とかいうかもしらんが、とてつもなく成長の速度が速まるとかってないからね。転勤なんかをあてにしても実際人間などはそんなに変わらんのだよ。よく、餓鬼の分際で悪いことをやって捕まって、少年院に入れられて、出所したらちょっと自身の不良度数がレベルアップしたかのような錯覚を持つ餓鬼がいたが、転勤なんてあんなもんだよ。それよりも、その前に、まず、今を頑張れって話しだよ。転勤経験なくたって、そこそこの地域にすごい奴いっぱいいるからねこれ。まず、何事も今出来ることを頑張りなさい。今のそこから世界に君を発信させたまえ。世界はほら、つながっているのだから。むぎゅ。
転勤と言う名の暴力に責め苛まれた挙句少し卑屈になっているかもしらん僕の心は、なんら罪もないこの福岡は博多という街に最初憎しみを覚え、それから少し憎しみが和らぎ、途中夜泣きをしつつ、今は結構普通に暮らしている。別段特別なことは思わぬが、全く悪くない街なのではないかしらん。都会だし。空港近いし。食いもん美味いし。自分の成長は全く認識できぬが、街は良いところやけん、君らもくるけ?ばってん。
知っている街で知っている奴に恥を見られると赤面以上の恥辱を抱くが、知らん街で知らん奴に恥を見られても相手が知らん奴なので、知らん奴同士の恥など互いに興味がないものであり、つまり恥じさえ恥にならぬ、いわば無敵である。赤面など微塵もなく、表情ひとつ変えず恥を行える、これほどの無敵は人類にいるだろうか。いないと思う。
先日、最寄の駅で平坦な地面でなぜか躓き「あぎゃー」という奇声を発したけれども、発した僕自身が自ら周囲に「で?」と問うたほどである。ふむ、無敵である。これからどれほどここにいるか知らんが、僕はいっそ完全な無敵になりたいと願うほどであり、それから無敵になるために毎日同じ場所で必ず躓いているというのは嘘である。
僕は今年旅人になったため、ブログの更新がこの度まで遅延したが、今年最初のブログが今年最後になるかもしらんことが容易に予測できることから、あえてこのままこれを今年最後のブログとしてまた来年お目にかかれるまでの日々を、諸君らと僕とで、心をつなげて、心の手をつなぎ合って、みんなで一斉に平坦な道に出て、同時に躓き無敵になろう。ばってんそのまま転んだら痛かろうもん。かしこ。
by hasumaro | 2016-12-28 15:11 | エッセイ
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爆発する愛と欲の言葉達
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