ストレスの爆発煮込み。疲労を添えて

頭が疲れているのか、肉体が疲れているのか、精神が疲れているのか、裸体が疲れているのか、上半身とか下半身とか全身が疲れているのか、目とか鼻とか喉仏とか小指とか、一切が疲れているのか、否、人生が疲れているのか、男としての性に疲れているのか、もうわからんくらいに疲れているのか、知りたくないほど疲れているのか、とにかくもう、僕は疲れているのです。ずーん。

人間という生き物は疲れていると何もできない。否、何もやらぬほうが良いと思ふ。なぜなら失敗するからである。

疲れている時に気合を入れたら気のせいでやれる気がするけど、そんなものは失敗する前のパーティーみたいなもんで、三振前の大当たり、絶望の前の奇跡、火事場の馬鹿力を信じて焼死するようなもんである。

思春期の時代は気合を信じて根拠のない奇跡を実績かのように誤解をしながら乗り切れていたけれど、目が覚めたら六畳一間で固い干物をしゃぶりながら消毒液のような味の安いウイスキーを一人で、たった一人で呑む羽目になっていた。孤独であった。寂しかった。なにも奇跡などなかったのである。幸福など手に入れられていなかったのである。それに気づいて30分ほど泣いた記憶があるが、泣き止んでも一人。屁をこいても一人。それを嗅ぐのも一人だった。だから僕は奇跡など信じない、と信じてこれまで生きてきたのであって、だから気合だとか、気持ちだとか、ハートだとか、そういう気のせいで奇跡を妄信するような愚か者には二度となりたくない。だから疲れた時は休んで、さぼりたい。だって失敗するのだから。失敗したらさらに絶望に陥って、ともすれば六畳一間にさえもいられないかもしらんではないか。便所とか、排水溝とか、そんなところで指をしゃぶっているかもしらんではないか。だから失敗を避けるために今僕は休みたいと切に願うのである。

休むという行為は具体的にどのようなことなのだろ。何もしないこと、とあなたは言うだろうけれども、何もしないと退屈になって、退屈という状態から脱したい、という願望がストレスを生み、ともすればやらんくてもいいような無駄なことをやった挙句、その行為が失敗を生んで、死ぬくらいの後悔を抱く可能性すらあるのである。だからといって退屈を我慢することが休むということなのだろうか、という疑問を抱くのだけれども、そうした疑問とかを心に抱くと、恐らくそうして抱かれてしまった心がストレスを抱くのだと思ふ。このような悪循環をそもそもストレスというのではないのかしらん、という悟りがさらにストレスを生むのだろうから、このような堂々巡りにだんだん腹が立ってくるのだけれども、腹が立つこと自体が立派なストレスなのである。というようなストレスを現在感じている僕は休みたいのに休めない、というストレスを抱き、今、休んでいないのである。労働し続けているのである。阿呆ではないか。

現代社会はストレスが多いという。江戸時代から見れば現代しかしらぬとんだ新参者の僕など、面倒くさいから武士に切り捨てられるのではないか。そう考えるといっそ切り捨てられたくなるが同時に死にたくない。生きたい僕は、生きるために休みたい。でも退屈がストレスになると休めない。そもそも休み方、というのを誰かから指導されたこともないので休み方を知らないのではないのだろうか。そう、僕ら現代人は休み方を知らぬのである。実に哀れなことではないか。

休み方を知らぬ自分に気づいた僕は、休みが怖いのである。休日がくると退屈に警戒しすぎて、退屈にならぬようにコミックスを読んだり、スナック菓子を食ったり、口笛を吹いたり、尻を掻いたりしすぎて、実に忙しいのである。ちっとも休まらないのである。だから非常に疲れているのである。ぜいぜいしながら日曜の深夜を迎え、瀕死の状態で月曜の朝がくるのである。

札幌から福岡へ渡り1年半が経過しようとしている。通勤列車の窓には福岡の海が見える。札幌は陸しかなかったけれど、福岡には海がある。とんこつラーメンも慣れたし、日田焼きそばはむしろ好きである。もつ鍋は未だに食っていない。水炊きも食っていない。食うことばかりが人生ではないが、今度の休みには、妻とライスカレーを食おうか。そんなことを考えながら博多駅。人と博多弁がごった返しているわき道を長い両足を短くして歩きながら、僕は今日も労働。労働というのは飯を食うための手段として必須であるが、これほど大変な手段はない。どうにかして労働をせずに飯を食う方法を考えてきたが、考えているうちに飯が食えなくなって慌てて労働して今がある。あの時余計なことを考えず、早めに労働していたら、何かに成功して、今頃本当に労働せずに食えていたかもしらん、などと考えながらデスクの椅子に尻を落とし、そうして九州弁の人と電話口で八割解読できずに話を終えるなどしている。今度の休みのライスカレーを思い浮かべながら、弁と弁の隙間で心の中に自分の言葉を刻んでゆくのである。ライスカレー食いたい。おでんもいい。チャーハンもいいな。ガパオもええやん。ばってんタコスもいいけ。うどんもうまかよ。

食うために働いて数十年。おかわりしたのは数年前。明日はラム肉の香草焼きドミグラスソース添えにしよう。妻よ、フランスパンを買って帰るよ。待ってておくれ。かしこ。



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by hasumaro | 2018-02-14 14:47 | エッセイ
詩 その47 >>



爆発する愛と欲の言葉達
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