<   2007年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧
ホラ焼酎・蓮麿
人間ちゅうのは矛盾に満ち溢れた生き物であると思うのである。
例えば肥満しているくせに「小食です」などと言ったり、潔癖を装っているくせに屁が臭かったり、「嘘は嫌いだ」などと言って本音を言われて怒ったり、失恋したくせに飯をおかわりしたり、墓参りにも行かず盆菓子を食ったり、税金も払わず政治に文句言ったり、足が短いくせに俊足だったり、パキスタン人がインドカレーを作ったり、もうほんと、人類は無法地帯のような姿に成り果てたのだとつくづく絶望し、そして僕は実に深くてしつこいため息を漏らすのである。
まだ毛も生え整わず、つるんとしていた少年時代の頃から僕ら人類は大いなる矛盾に翻弄されて生きている。学校に入学すると校則なんつうものがあって、例えば前髪を何センチメートルにしろ、スカートは膝下数センチメートルにしろ、スラックスはだぶだぶじゃなくぴちぴちにしろ、挙句の果てには男女交際禁止、なんつう学校もあって、そもそも妻も子もいるであろう教師が、言い方を変えれば恋愛もセックスも十分経験しているはずの教師が男女交際禁止なんつうのは甚だ矛盾である。こんなものを強制され、「言うこときかんと、怒るわよ」などと恫喝され、これに従うことを強いられているのだから、これはまさしく共産主義国のような有様である。そう考えると実は矛盾がなくなるのであるが、というのは学校の教師ちゅうのは日教組などと言われる共産主義の人達が多いからであって、革命を起こして政権を奪うっちゅう元気がないもんだから学校の中でちまちま共和国をこしらえて理想を満喫している、とも言えるのである。だからあの人らが「人権」なんちゅうことを持ち出して「日の丸君が代反対」なんつって奇をてらって国歌斉唱時に起立しなかったりしているがあんなものはいい加減なものであって、そもそも人権を尊重するのなら自分らの学校の校則をなんとかする方が先ではないか、と思うのであるが、これらを棚に上げて国に文句を垂れるあたりが実にせこく、こんなことに付き合っている、あるいは信じて従っている生徒らもほとほと阿呆であり、なんだが「童貞っぽいな」と僕などは思ってしまうのである。くちゅん。
童貞というのは女を知らない。女を知らないってことは女に対して理想を描きがちである。理想ちゅうのは長い間描いていると最後は妄想に変わる。いつまで経っても果たされない革命を信じているうちに妄想している方が気持ちよくなってしまっているのである。エロビデオを鑑賞しすぎると、実物の女体に興奮しなくなる、という経験を持つ男が多いと言われているが、これと同じである。エロビデオちゅうのは早送りも巻き戻しも可能で、都合の良いシーンにいつでも苦労せず興奮を合わせられる、というところが最大のメリットだと思うのだが、しかし実物の女体というのはそう都合よく我々の部屋に日々用意されているはずもなく、当然早送りも巻き戻しもきかぬ生身の人間同士なのであるから気持ちや心、という、言い表すための適切な形容句が存在せぬような、実に抽象的な部分を信じて育んで行かんとセックスには至れぬわけで、これらを経験せぬうちにエロビデオばかりを鑑賞したもんだからかかるあのような校則を作ったり、未だに妄想から抜け出せぬ、頭の中だけが異常に発育した童貞に成り果てるのである。これを一部では「精神童貞」と言われているのである。
しかし僕がこのような批判をして「いいぞ蓮麿、もっと言え」という声援が巻き起こり、挙句社会問題にまで発展し、果てには国会で取り上げられる、というような事態になったら、これ決まって「校則排除!教師排斥!」なんつう大袈裟なスローガンを掲げた新たな阿呆を生むことにも成り得るのである。というのはそういう社会の風潮に便乗する者らの中には自分の阿呆を棚に上げた阿呆が多いもので、本当はその校則なんてちっとも守ったためしもなく、日々教師らに反発してぴちぴちせずにだぼだぼしていたりしていたくせにみんなと一緒に文句を垂れ、場合によっては校則と全く関係ないこと、例えば彼女にふられた、だとか、陰茎が小さい、だとか、そんな個人的な無念を晴らすために便乗する輩さえいるからである。そうしてそいつらに僕が「いや、いい部分は残して悪い部分を変えるというような、そういう建設的で生産的な議論をしようよ」と宥めると「さっきまで校則駄目って言ってたのに、それは矛盾じゃねぇか、蓮麿は裏切り者だ、蓮麿排斥!」なんてことになって今度僕がくちゃくちゃに責め立てられ、おっかないから部屋から出られなくなり忸怩たる思いでエロビデオを鑑賞する羽目になるのだから人類ちゅうのは愚かなものである。ほんとに。
矛盾を抱えて生きているからこそ人間には成長がある、あるいはすべての芸術は世の中の矛盾から生まれたものだ、だのというような言葉をどっかの知らん人から聞いたことがあるが、まぁ、わからなくもないが、しかし例えば「拉致問題なんてねぇよ」だの「あれはむしろ日本政府が捏造したんだよ」などと堂々と言ってのけた政党が今では「日本国民の年金をなんとかしろ」なんつって、拉致被害者の人達を見捨てて、ちゃっかり日本国民の年金の心配をしていやがるのだから呆れて屁も出ず穴も塞がる。そんな連中が選挙に出て「国民のために」なんつってんのが日本国の矛盾の象徴なのではないかしらん、と僕は思うのだがしかし、あらゆるメディアでこのような矛盾を突いた発言等はただの一度も無いのであるからこれはひょっとすると僕しかこのようなことを思っていないのかしらん、というようなある種の孤独感を抱くと同時に淋しさのあまり逆上した憎しみさえ抱くのであるが、「いいんだ、俺ぁ芸術家だから。この矛盾を作品にするから」なんつってとりあえず呟いて自分を慰めてみたのだが全く慰められず、なぜならそもそも僕は芸術家ではなくただの労働者であるからであって、ということは今の発言と矛盾が生じるではないか、というような思いが頭を過ぎったのだが、まぁ、さっきのはあれ、つい言ってみたくなったんだよ、などと心の中で言い訳をしながら一先ず芋焼酎でも呑みながら一息つこう、ということにして芋焼酎の蓋をきゅるきゅる空けてグラスに注ぎ入れ、くいっくいっ、と勢い良く喉の根元に流し込むと「いやぁ、やっぱ焼酎に限るよな」などと独り言を呟いてみたところ「一体何に対して芋焼酎が限られたのだろう」という思いが頭の中に浮かんだのだがこれについての答えが思いつかないので「はは、これを矛盾と言うのだよ」などと誰もいないのに誰かに教えてやったような口調で呟いてから、何もかもに面倒臭くなった人がため息をつくような顔をして僕もため息をついてみたのであるが、そもそもため息をつくほど何もかもに面倒臭くなったわけでもなかったので、「いや、俺ぁ矛盾を許さんよ、ほんと」とやや大きめの声を出して一人で宣言したのだが、宣言というのはそもそも他人に対して行うものであって、この場合僕は一人で行ってしまった。僕は一人で、誰もいないことをわかっていながら宣言をしてしまった。ちゅうことは即ち、この宣言は誰も聞いておらず、ちゅうことは即ち、この宣言は守らなくていい、ということになるのである。つまり僕は守らなくてもいいことを知っていながら宣言をしたことになり、なぜ守らなくてもいいことをわかってて宣言をしてしまったかというと、それは僕の他に誰もいなかったからである。そうするとそもそも宣言など行わなくても良かったのではないか、ということになり、僕が今やった行動はこれすべて矛盾である、ということになるのであるからこの時点でもはや宣言内容を守っていない、ということになるのである、というようなことを考えながら僕は面倒臭くなった人がため息をつくような顔でため息をついたのである。これは本当である。かしこ。
[PR]
by hasumaro | 2007-07-26 16:11 | エッセイ
芋にホラがばれて、豆に土下座した男
幸運と不運、というものがあるが、僕の場合幸運はあまり連続しないもので、不運ばかりが連続して続きやがるような気がしてならないのである。
というのは、僕のような都会的及び文化的な男というのは、物事をスマートに推し進めた挙句合理的に処理したい、というふうに常に思っているのだが、例えば納豆のような実に不快な異臭を放つ上に奇妙な粘りを帯びた奇特な食いもんを食う時でさえあまり極力周囲に異臭を帯びたたせぬように気を使い、そしてあまり派手に粘つかせて体中糸だらけにならんように努力をした上で、最低限綺麗にそして美しく納豆を食らおうとするのだけれどもしかし、人によっては「ずずずずずずず」などと実に下品で醜い喰らい方を平気でする輩もいるのであって、僕はそのような薄汚い輩を常に軽蔑しているのである。しかし、これほどまでに綺麗に美しく、そしてスマートかつ合理的に納豆というものの特徴を理解した上で喰らおうとする涙ぐましい僕の努力を、時に無に返す非道な納豆が存在するのであり、平たく言うと田舎納豆というやつで、所謂あの藁に包まれた状態で売っていやがるタイプの納豆である。あれは本当に僕の努力をせせら笑うかのように実に分厚くしつこい糸を伸ばし、そして臭気も人の鼻に馬糞を詰めたかのように鼻腔に直接刺激を加えてくるのだからたまったものじゃない。そんな外道極道極まりない田舎納豆を食卓に出された時点で僕はもう、「不運だ」と思うのである。
というのはその昔、遠方へビジネスをやりに出張したのだが、そこで普段なら駅の近くのビジネスホテルだとかに泊まるところを、奇をてらって田舎の民宿宿のようなところに泊まってみたくなったのである。で、駅からやけに遠いはずれの民宿宿までわざわざ尻をぷるぷるさせながら出向いて「安田旅館」という他人の家屋のような風情の民宿に泊まることになったところから運が尽き始めていたのである。
前歯の欠けた不衛生な顔立ちの女将に案内された部屋は六畳間の畳の部屋だったのだが、その畳というのが畳と言われなければ気づかぬくらいに薄汚れており、生まれた時から都会で文化的な生活を送ってきた僕にとっては異国の牢獄に収容されるような心細さを覚え、早くも後悔したのだがしかし、人間ちゅうのは一度決めたことを途中でやめる、ということに些か躊躇ってしまう生き物であって、その時の僕は安田旅館に必ず泊まらなければならぬ使命があるような気がしてならず、しかしそれは当然気のせいだったのだが気のせいだということにこの時は気づかなかったのであるから愚かである。
そんで仕方なく薄汚れた畳の上に僕の綺麗なヒップを転がして「ふん、ふふふん」などと決して楽しくもないのに鼻歌などをハミングしたり、「あ、海が綺麗だな」などと霧が立ち込めてよく見えぬ海の方角を窓辺から覗き込みながら呟いたり、「ぐは、うひゃひゃひゃひゃ」などと普段あまり見ないテレビのバラエティ番組などを見ながら心の底から沸き立たぬ浅くて薄っぺらな笑い声をわざと漏らしたりしているうちに夕飯になったのである。
嫌な予感を振り払って食卓に着くと、嫌な予感が的中した料理が心細くなるほどの少ない量で並んでおり、僕は「こんなもの豚の餌じゃねぇか馬鹿野朗」と心の中で怒鳴りあげたのだが女将がすぐ横にいたので「いやぁ、人間こういうものを食ってると病気にならないんですよね、ほんと。ヘルシーっちゅうの? いいですよね、こういうの」などと聞かれてもいないのに褒めねば成らぬような気がしたせいで実にわざとらしく褒めてしまい、そうして褒めてしまったもんだから引っ込みがつかぬ気持ちになってしまいやけに大袈裟に白米を欠けたお椀に盛り付け、「うほほ、健康的ですなぁ」などと心の中は不健康そのものの状態で飯を頬張った瞬間「納豆、好きかね?」という絞った雑巾のような声が聞こえたので振り返ると女将が田舎納豆を差し出して突っ立っているのである。僕は本当は納豆など嫌いであった。あんなもの食う奴はウケを狙って大衆に媚びた売れない芸人のような奴ばかりだと確信さえしていた。しかしこの時はなぜか納豆を食わねばいけないような、それこそが自分の使命のような、むしろこのためにここに存在しているような気がしていたのであるからとんだ阿呆である。で、阿呆は「うわぁ、納豆なんてすごい、しかも藁に包んであるなんて初めて見ましたよ、感動だぁ」などと心の中は絶望しているくせに感激を装い、それから例によって美しく綺麗に、そしてスマートかつ合理的に納豆を食そうと試みたのだがこれが先にも述べたように実に強力な糸の力と強烈な異臭を放っており、僕は完全に糸と異臭にレイプされ、挙句やっとの思いで白米の上に納豆を乗っけたかと思うと今度納豆の塊から箸が抜けなくなり、それを無理に抜こうとしたら今度納豆と箸が一緒に白米の上から食卓の上にぼとんと零れ落ち、しかもその食卓というのが実に薄汚く、ただでさえ食いたくない納豆が余計食いたくなくなり、もうどうでもいい、面倒臭い、ここから消えてしまいたい、いっそ死んでしまいたい、イマジンでも口ずさみたい、というような気分になりながらもしかし女将の手前これらの本音を表に出すことが出来ず、本音を表に出せぬがために抱くストレスが今度心の中でめきめき成長してきたのだが同時にその反動で尻から素手が出てくるようなやるせない気持ちに支配され、もういっそのこと僕なんてどうなったっていい、世界が幸せならばそれでいい、憲法9条を守りたい、というような厭世的な気持ちになって、僕はとうとうそのみすぼらしい食卓の上の納豆を素手で掴んで一気に口の中へと放り込んだのである。すると途端、心のタガがすぽんと外れ、なんだか不気味な感じでテンションが上がり、地面の中に逆様にジャンプしたような破滅的な爽快感を抱き、それから糸だらけになった素手で箸を掴み、その他の貧乏臭い煮物やら漬物やらを喰らい、途中何気に食ったじゃがいもの煮物が案外美味かったが、この不運だらけの宴の中の、そのたったひとつのじゃがいもの美味さがとても幸運のような気がして、僕はたったそれだけの、実に粗末な幸運がとても大切な出会いのような気がして「じゃ、じゃがいも、これ、なまら美味いっす」などと少し涙ぐんで呟いたのだが女将は煎餅を食いながらテレビの前で尻をかいて寝転んでいたのである。僕は女将の尻を眺めながらずるずるになったじゃがいもを頬張り、そして二発、屁をこいた。音もなく、実に静かだったが、女将が「なんか匂うの」と言っていた。
不運が連続することによってたったひとつの幸運がより一層光り輝くものである。しかしその幸運は必ずしも不運から救ってくれるとは限らない。僕はその後部屋に戻った途端、腹に激痛が走り、一晩便所の中で唸ったのである。古い芋の匂いが立ち込めたのである。かしこ。
[PR]
by hasumaro | 2007-07-10 16:32 | エッセイ



爆発する愛と欲の言葉達
by hasumaro
カテゴリ
全体
プロローグ
エッセイ

photo
repo

Link
tom waits
yohji yamamoto
nickey
nikorush
harakiri culture
bossa
larsen
以前の記事
2018年 02月
2017年 10月
2016年 12月
2015年 10月
2015年 07月
2015年 04月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 07月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2011年 12月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 03月
2009年 02月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
検索
その他のジャンル
ファン