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詩 その20

生きる価値


わたしは可笑しくないのに笑うことができます
でも泣きたくないのに泣くことは出来ません
わたしはあなたに殴られてもきっと殴り返さず裁判をするでしょう
わたしはあなたを最後まで許さないでしょう
わたしは本音を喋らず、ずっとあなたの夢を聞くでしょう
つまらない夢だとしてもわたしはあなたを馬鹿にしません
初めからあなたはわたしがあなたに共感していると思うからです
わたしの喋ることには意味がありません
訊ねられたら答えなくてはならないからです
わたしの話の結末はわたしが決めます
あなたは何も疑問を持たずに笑っていればいいのです
わたしのくだらないジョークを聞いてずっと笑ってくれたらいいのです
そうしたらわたしもようやく笑えるのです
笑っているのは苦しいです
笑われているのが楽です
わたしの生きる価値はなんですか?

わたしは喧嘩が弱いです
でも喧嘩が強いと嘘を言います
わたしはお酒が呑めません
でもお酒が大好きだと嘘を言います
わたしは女性が苦手です
でもセックスには自信があると嘘を言います
あなたはわたしを疑いません
わたしという人間を作ったのはあなたという世間です
わたしは世間という個人のために怯えて暮らしています
いつばれるかもわからない嘘のかたまりに押し潰されながら血塗れで暮らしているのです
血が流れれば流れるほど、わたしの血は社会に反抗します
わたしの反抗はわたし自身を痛みつけることでしか表現できません
わたしが血塗れになればなるほど社会が注目し、またさらにわたしは社会から疎外されるのです
そこでわたしはわざと笑います
絶対に泣いてはいけません
あなたはわたしを不良と言います
わたしはようやく満足します
わたしの生きる価値はなんですか?

夢を見ることは大切でしょう
夢の無い人生なんてつまらないでしょう
だから生まれたら死ぬまで夢を見てください
決して夢から覚めてはいけません
勉強とか仕事とかでとても忙しくても夢を見てください
教師や上司というのはあなたの夢に嫉妬をしているのです
人間にとって一番残酷なのは夢から覚めた瞬間です
夢から覚めた人間は必ず自分がなんて醜い人間なのかと絶望します
絶望は時間が経つと逆恨みします
そして最後の抵抗を試みるのです
そうしてあなたを否定するのです
そんな時もあなたは夢を見るべきでしょう
夢は夢を見る者だけを強くします
夢を見る者は孤独になれます
あなたも孤独を望むようになるでしょう
決していじけたりしてはいけません
否定されたり絶望したりするのはもう嫌です
夢を見る者は夢を見る者だけが手に入れられる力を夢の中で手に入れ、そして夢の中で夢の力を信じるのです
あなたの生きる価値はなんですか?

わたしは腹が減りました
昨日とても悲しいことがありました
悲しいことを忘れるために酒を呑み、よく眠れるように酔っ払いました
朝、やはりわたしは腹が減っていました
明け方には朝飯の心配をしていました
でも何を料理して食うのか、それが少し楽しみでもありました
そして慌てて炊き上げた米は実に不味かったのです
でも満腹になったのでわたしは満足しました
わたしの悲しみはどこへ行ったのでしょう
それを思い出すためにわたしは悲しい振りをしなくてはなりませんでした
一人きりでソファに座り、大きな窓から外を眺めました
公園が見えました
子供の遊ぶ声が聞こえました
悲しい人はきっと、これをぼんやり眺めるはずです
ぼんやり眺めながらあるひとつのことを想うはずです
でもわたしの中には何ひとつ想うものが存在しません
いくら考えても想いつかないうちに、わたしは考えることがいやになるのです
そうしてテレビを点けます
画面を眺めながら少し大袈裟に笑ったりします
やがてまた腹が減ります
わたしは冷蔵庫の扉を開きました
そして飯を食い酒を呑み、たぶん満足して眠りにつくのです
見たはずの夢は必ず忘れます
翌日また肥えています
わたしの生きる価値は何ですか?

暴風が地上を抉ってゆく
たかだか100年にも満たないわたしの命が地上に生えている
無数の思い出と大量の昔話が空中の果てまで渦を巻いて登ってゆく
わたしは色々なことを忘れて、今あなたの手を取った
そして大袈裟にふざけながら近所のスーパーマーケットへ行く
不味い惣菜と冷凍食品を大量に買い漁り、安い車に乗り込んで出発をする
窓を開けると、あなたの首に巻きついたストールが美しくなびいた
そんなあなたの姿はとても美しかった
わたしは色々なことを忘れて古い自動車整備工場を右に曲がった
信号機はずっと青だ
白々しいくらいに快適な道だった
車の中にはラジオが流れていた
最近のパンクバンドと思われる若いバンドの曲が流れていた
「なにかを信じて生きていこう」「くじけずに頑張ろう」「人を信じよう」「人を愛そう」「恋人を大切にしよう」「夢を信じよう」「親を大切にしよう」「お金よりも大切なものがある」
個人的なスローガンが大量に歌われている
わたしの羞恥心が頭の中に染み出してくる
口に出すのは格好が悪い
わたしはもっと色々なことを忘れて花屋の角を曲がった
あなたのストールは青かった
遠くに長い煙突が見える
真っ黒い煙が大量に吹いている
オイルのような匂いがした
向こうに公園がある
緑色の丘がある
あすこで車を止めるとあなたはきっと車から飛び出して走り出すだろう
あの丘を駆け上がるだろう
ストールをなびかせて、少し冷たい風に吹かれながら、あなたは丘の上から振り返って、わたしを見下ろして微笑むだろう
わたしはあなたの姿を美しいと思うだろう
色々なことを忘れて、ただ美しいあなたを愛おしく思うだろう
そしてわたしもあなたに微笑むだろう
でもそれが、なぜか悲しいと思うだろう
わたしの生きる価値はなんですか?



(2008年 雨音)
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by hasumaro | 2008-05-23 15:46 |
詩 その19

悪魔にホラがばれて、神に土下座した男


この歳になるとお前
人間なんてのは生まれたらあとは死ぬだけのくせに
いちいち意味やら価値がねぇと死ぬまで生きていかれない、なんて愚痴を垂れる若僧の相談に付き合ってやらんと駄目になってくる
ここである程度のことを言ってやらんとお前、軽蔑されたりする
歳をとるとよく喋るようになるのは、少しでも頭がいいと思われたいからに決まっているくせに、一丁前に説教しねぇと駄目になってくる
歳くったらお前、下心を大事にしろよ
どうせいずれ死ぬくせに、たった一度の人生だからって開き直りやがって、無能がはしゃぐとやけくそにしかならないのをお前等は気づかないその刹那
破滅的な快楽を欲求しても未練がましく変態にしかなれない
娼婦と夜具に包まって生きた顔で死ぬ真似事をする
なんてすばらしい世界だろう
我々は自由に馬鹿になれ、阿呆になれる
死んだ奴を小突いても絶対に罰が当たらない
我々はお守りを捨て、神社を忘れ、法律を作り、裁判で嘘を言う
弁護士は被告がホラを吹いているのを知っていても弁護しなければならないのなら、裁判官がそのホラを見抜けないのは当たり前だ
人間なんていう永久に未完成の生き物が、罪悪感に気づかなくなるために神をつくって同時に悪魔を作った
そうして我々はあらゆる処刑の限りを尽くす
今ここに手錠がある
おれの片手はあの世と繋がっているだろう
死ぬと言いながら生きていけるのは生まれた時からの権利だ
いまさら生きたいって言っても、毎日が死にたいことだらけだろ
いまさら神にごめんなさいでも言ってみるか
悪魔にホラがばれたら、神に土下座するしかないんだよ
この歳になるとお前
生きている間にしつこくかかわり、死ぬ時にようやく解放されることに気づく
神様の逆は悪魔じゃない
長生きすることだ





(2008年 晩春)
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by hasumaro | 2008-05-16 11:52 |
春夫と芋子の疎外鍋
僕という男はお仕事柄わりとお客と酒を呑む機会の多い男である。世間的に言うと接待というやつで、「はすまろ君、今晩どうだい?」などとお客の方から誘われた場合においても僕がおごる羽目になり、お客というのは僕の勤める社の品物を買っている、否、買ってやってる、すなわち間接的にお前の給料はわたしが給付しているようなものだ、という気持ちがお客という立場の人間には少なからずあるに違いないと僕はほぼ確信に近い程度に感じているのであるが、そうしたいわば権力めいたものをお客というのは持っていて、お客の性質によってはその権力を大いに乱用する人も度々いるのであるが、そうした場面と多く遭遇するのがこの接待という酒席なのである。
接待をやるお客というのは大概がおっさんであるが、時折若僧もいる。若僧というのはおっさんほど厚かましくないのが多く、どちらかというと扱いやすいものである。例えば僕が顔面の筋肉の動きや身振りや仕草などで只者ではない雰囲気を醸し出すと、若僧というのは大概舐めた態度はとらぬもので、これは例えば元ヤンキー同士が大人になって初対面する際「お前ってどんだけ悪かったの?俺はこんぐらいだけどね」というような意味を込めた雰囲気というのを醸し出し合い、そうして「あ、こいつは俺よりやばいな」だの「あ、こいつはたいしたことねぇな、余裕だな」だのと判別し、それから自然と力関係が成立するのであるが、これと似ているのである。時折僕の醸し出す雰囲気を察知せぬ不感症的な男、男性的にいうとインポテンツのような男もいるが、大概は表面的には争うことなく心の中で力関係が成立するのであるから見た目は実に平和的である。
しかしおっさんとなるとこれ全く別であり、僕の雰囲気など全く尻目にも残さず、一方的に「俺のほうが立場が上だ」という気持ちを疑いも無く抱き、抱くだけならまだキュートだがおっさんというのは大概キュートではなく、その気持ちを顔面と身振りと素振りを使って、言い換えれば全身を使って、全面的に表現してくるのであるから厚かましさを通り越して実に迷惑極まりなく、きっとこのようなおっさんの先祖は大奥に憧れて家人にセクシャルハラスメントをしたエロ隠居だったに違いないと思うのである。しかも明らかに少年時代にうだつの上がらなかったであろうことを容易に推測出来るようなタイプのおっさんまでもが調子づいてエロ隠居になるのだから、僕はウイスキーのグラスに放尿したくなるような衝動にかられるのである。じょぼ。
「お客様は神様です」という名言を残したのは三波春夫であった。三波春夫という人は戦時中軍人として戦地へ赴き、戦後生き延びながらもソ連軍に拘束され捕虜となり、あの悪名高いシベリアの収容所へ収容され、強制労働を強いられたという、非常に苦労なされた人である。こういう苦労を経験した人が、自分の唄を聴いてくれるファンの人らに感謝の気持ちを表現したのがこの言葉であり、この人の人生というものを考えた場合、実に重みのある言葉として胸に心に響いてくるのである。しかし昨今のお客というのはどうだろ。どうでしょ。実に調子づいていやしないだろうかしらん。自ら購入した責任というやつを全く負うことも無く、無理難題をクレームという形で押し付けてきたり、ともすれば商売としての対等や平等性という概念を無視して脅迫のようなことすら行うことを躊躇わぬ連中すらいるではないかこら。挙句の果てに接待なんつって、他社の経費を当てにしてウイスキーやら芋焼酎やら日本酒やらブランデーやらスコッチやらラムやらジンやらシェリー酒やらを大いに満腹するまで呑みやがって、こういうのは商売上、言い換えれば僕らも自分の社の品物を買って欲しいがためにやむなくやっていることとはいえ、少なくともこれは明らかに談合である。役人なら逮捕されて豚の餌のような飯を豚のような顔で食わねばならない事態であるのだ。そんなのいやん。と僕は思ふ。思ふがこれ現実世界では当たり前のようにまかり通っているのである。地蔵のような顔をしていても通り過ぎてはくれぬのである。言い換えれば日本のサラリーマンの闇の儀式のようなものである。さらに言い換えればヤンキーが健全な生徒に行うカツアゲのようなものである。またさらに言い換えれば北朝鮮が健全な日本国民を脅かす瀬戸際外交のようなものである。言い換えすぎたので言い換えた分だけ話を戻すが、お客という立場を勘違いして権力というものを錯覚した人間が実に多いな、と近頃実感するのである。
しかし立場が入れ替わると僕もお客という立場になるわけで、例えば「芋でも食いたいな」と思って芋屋に行って芋を買った場合、たとえその芋が多少変色して非常に不味そうな外見をしていたとしても僕は決して無闇にクレームをつけたりしたくない、と思っている。皮を剥けば美味く食えるかもわからんし、そもそもそういう不味そうな色彩の芋なのかもしらんし、そもそも芋の知識が不足していやがる身の上で芋について批評や批判をするというのは実に厚かましいではないか。僕は芋に対して謙虚に接したいのである。そうした僕の芋の気持ちというのがいつしか芋屋の女将の心に通じて、女将は今以上にもっと美味しい芋を蒸かしてあげたい、と思うはずであり、そうすると僕も今以上にたくさんの芋を購入するだろうし、女将はますます美味い芋を蒸かすのである。これが健全な社会であり、経済も今以上に発展するのである。商売というのは平等であり対等でなければいかん。芋が不味ければ買わねばよいのである。気に入った芋屋で美味い芋を買えばいいのである。酒をおごってくれたからといって不味い芋を買う義務もなければ、酒をおごったのだから芋を買わねばだめだ、という権利も無い。ましてや芋を買ってやるから酒をおごれ、なんていうことを要求できる権利もないのである。お互いが責任を全うすればおのずと経済は発展し、社会が安定するのである。これが資本主義というやつの根本の理念である。ぷす。
今、僕の責任は芋である。この芋を自己責任で美味く調理し、美味しく召し上がることで経済発展に貢献したいと思っている。だから僕はとりあえず芋の皮を剥いてみた。そしたら実につるんとした姿で悪びれる様子も無く俎板の上に全裸の芋が踊った。ころころと実に無垢で純真な姿で僕の芋子が僕を見詰めている。僕は今からお前を大切に調理するよ、そうして大切にお前のことを想いながら召し上がるよ、と心の中で呟き、そうしてとりあえず包丁を構えたのだが次の瞬間僕の芋子への想いに亀裂が生じたのである。というのは芋料理というのを全く知らぬという事実に気がついたからである。煮込んだり焼いたり炙ったりと色々あるだろうけれども、そのうちのただのひとつも頭には浮かばぬのである。困った。こまろ。どうしたろ。どうしようもなくなった僕は便所で尻を拭いている時のような顔でひとまず芋に塩をまぶしてみたが何の変化もない。当たり前である。静寂した芋を尻目に僕はとりあえず屁を放つか我慢するか迷っている時のような顔で鍋を取り出してガスコンロの上に乗っけてみたのだがこれ以上の調理法は思いつかず、しばらくその場で放心したまま芋の方をあまり見ないように鍋の底を見詰めたのである。するといつしか頭の中である歌声が聞こえてきたのである。実に優しく、今、芋を放置したまま放心する僕を慰めてくれるかのような歌声であった。「こんにちは、こんにちは、世界の国から。こんにちは、こんにちは、はすまろの鍋から」これは紛れもなくあの三波春夫の歌声だった。かつて大阪万博のために、世界中から集まる人々へ平和のメッセージを込めて作られた名曲であった。そうだ。世界は平和であるべきだ。みんなが平和であるべきだ。こんにちは、世界。僕は芋ひとつに翻弄されて、平和というのを忘れていた。経済だの接待だの、そんなことに振り回されて、人間として一番大切なことを忘れていたのだ。三波春夫の唄は、日本のイマジンだ。日本人は憲法を改正せずに、憲法9条と一緒に例え滅びることになっても、日本国民がすべてこの地上から消え去ったとしても、憲法9条を守るべきなんだ。命よりも憲法9条が大事なんだ。などと新左翼よりも過激な思想を胸に抱きながら僕はまさにこの瞬間、天空へ身を投げ出してしまいたい、そうしたら人間世界の向こう側へいけるかもしれない、その新世界こそが僕が目指した平和なのかもしれない、さあ、いこうよ。みんなで。聖火を持って。というような気持ちになったのだがそれは一瞬で終わった。というのは鍋の前で色々思っているうちに腹が減ってきており、とりあえず何でもいいから今すぐ何かを食いたいな、と思ったからである。とはいうものの、今すぐ何かを食いたい、と思っても食えそうなものは芋しかないことは明白な事実である。この事実というやつだけはいくら夢を描いても、例えば新世界へ行けたとしてもきっと変わらないのである。僕はひとまず鍋の中に水を注入し、コンロの火を放った。そうしてやがて沸騰した湯の中に芋子を放り込み、そっから醤油だのゴマだの酢だのナンプラーだの味になりそうなものを手当たり次第に垂らし入れ、それからしばらく放置し、再度放心したのである。しばらく放心していると人間ちゅうものは酒を呑みたくなるもので、安い芋焼酎があったのでこれをコップに注ぎ込み、ぷぁっ、はー、などと言いながらぐびぐび呑み、そうして呑みながら垂れた屁を気にしないでいたりしているうちにとうとう酔っ払い、やがて部屋中に異臭が帯びていることに気づくと、そこでようやく自分が先程から芋を煮込んでいるという事実を忘れていたことに気づき、それから小便を我慢しながら鍋の側まで走り寄ると鍋の蓋がパタンパタンと振動しながら、今まさに鍋の中身の熱気が一気に噴出します、というような姿で暴れ狂っているのである。僕は「あわわ」と心で叫び、それから慌てて火を止めた。そして恐る恐る鍋の蓋を外して中を覗くと、芋を煮込んでいたという事実が見当たらないくらいの姿と成り果てたかつての芋が鍋底に真っ黒になってこびり付いていたのである。ちょっと箸の先で突いてみたりしたのだがこの現状に変化は無い。当たり前である。それから僕は芋を失った悲しみと空腹なのに何も食えぬこの現実に行き場の無い苛立ちを抱き、そして行き場が無いものだから「くそ、あの女将の野朗、こんなすぐ焦げる芋なんかを売りつけやがって馬鹿野朗」などとクレームをつけ始め、その矛先は三波春夫にまで向かい「何がお客様は神様だ馬鹿野朗。あんたが余計なことを言うからお客がみんな神様気分で困ってるんだよこの野朗」などと誰もいない部屋で一人で悪態をつき、それから「馬鹿野朗、何が憲法9条だこの野朗。そんなこと言ってるから客に舐められて酒をおごる羽目になるんだよこの腰抜け野朗」などととうとうわけがわからなくなって、最後に奇声をあげてジャンプした瞬間、テーブルの角に激しく膝を打ちつけ、うくく、と蹲ったまま激痛に耐えたのであるが、激痛に耐えているうちに不意に気持ちが虚しくなり、一体どうして自分はこのような痛みを伴うような夜を迎えてしまったのだろう、というようなことを考えながらわけがわからなくなってしまったわけを冷静に考えようとしたのだが、しかし酒というやつは思考能力を奪うもので、一瞬で考えることが面倒臭くなり、それからさらに芋焼酎を呑み、屁を垂れ、文句を垂れ、あらゆることにクレームをつけながら「明日は旅に出よう。どこか遠くへ行こう。でもシベリアはいやん」などと呟き膝をさすったのである。涙を堪えながら。小便を我慢しながら。かしこ
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by hasumaro | 2008-05-09 16:01 | エッセイ



爆発する愛と欲の言葉達
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