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春のお知らせ
春というのが近づいているのだろうか。
のっそりとふてぶてしく昨年暮れから居座り続けやがっている雪の野郎もとうとう融けかけやがり、雪の下敷きになった前回の秋が残した紙くずやら不燃ごみやらが古びた姿で顔を出している。そんなぐしゃぐしゃの歩道を僕の長い足が踏み潰してゆく。春の訪れを踏み潰してゆく。洟が垂れている。
これまで腐るほど春を迎えた僕という男は、近年になってとうとう春という存在そのものに飽きている。別れと出会いの季節を謳われる春であるが、近年出会いが減ったせいでおのずと別れも減っている。なんら変哲もない。いつもの連中がいつもの調子で腹をすかせて飯をおかわりしている。春夏秋冬それを繰り返している。春夏秋冬肥満している。はんぺんを食っている。ぽんぽちを食っている。
変化が欲しい。野球の投手もストレートだけでは打者を打ち取れない、ということは小学生でも知っている。つまり変化球。カーヴだのシュートだのスプリット・フィンガード・ファスト・ボールだの、そうした球種、変化が僕の生活にも欲しいものだ。例えば僕は視力が低い挙句鳥目のため昼夜問わず車の運転というのが不得手であり、従ってドライブという趣味を持たないが、視力回復手術を受けた挙句、新車を購入、そしたらドライブしたくなるのではないのかしらん、と思わないでもないのだけれどもこの場合大金がかかるのであり、収入もたかが知れた現在、ドライブのために数百万をかけるほど経済が僕を味方しないのであり、たかが春に飽きた男の気まぐれと場当たりな思いつきのために大金をかけるなんざこれ、阿呆や馬鹿を素通りした糞野郎、えんこ野郎である。
そもそも趣味というのはそうして大金をかけて無理矢理こしらえるものではない。なんつうか、自然と、ふと、好きなあまり熱中しているうちに生活の一部になっちゃった、みたいな、山に見とれているうちに登った挙句山小屋に住み着いちゃった、みたいな、おかわりしているうちにわんこ蕎麦屋を始めちゃった、みたいな、つまり「好き」という気持ちがあって初めて趣味となるわけで、そうしていつの間にか生活に密着した存在になるのである。僕の好きなもの、それがあるかが重要なのである。安いリアカーを買ったって運ぶものがない。空気を運んでも楽しくない。楽しくなければ趣味に至らない。ひたすら空のリアカーを引きずっても何の喜びも得られないではないか。時間の無駄ではないか。こうして月日が経ち、とうとう春にさえ飽きたではないか。変化。好き。変化。好き。ヘン・カスキー様。
だからといったって急に何かを好きになれるわけではない。しかも好きなことが偶然大金がかかることであった場合、いくら好きでも実施できぬのだ。ヨージ・ヤマモトが好きでも高すぎて買えぬためにやけくそで買ったラルズのドテラを着込んでもなんら楽しくない。むしろどんどん格好が悪くなって仕舞いに自分自身を嫌いになってしまうかもしらん。自分という存在を嫌いである場合、きっと何をしても楽しくなく、何にも好きになどなれんもの。ていうことはまず自分を好きにならんと何も始まらない、ということにすぐに気づいた僕はまず蓮麿を好きになろうと思った。しかし、そもそも僕は僕を嫌いなのだろうか。それを確認するためにまず蓮麿の嫌なところ、阿呆なところ、どんくさいところ、などを挙げてみることにする。
1・餓鬼の頃、たまに小便を漏らした。
2・同時にえんこを漏らしたこともある。
3・ヤンキーになった時、実は童貞だった。
4・童貞をきった時、すごく調子づいた。
5・他人にとても嫌なことをする癖がある。
6・婦女子よりも寒がり。
7・エロ本よりもビニ本が好きだった。
8・同時にAV男優を志した時期がある。
9・まだ乳歯がある。
10・頭が尖っている。
11・魚の目がある。
12・ゆでたまごが食えない。
13・おできが痒い。
14・数字を見ると自律神経が病む。
15・昨夜の屁はいつもより臭かった。
16項目を書こうとしたが気分が悪くなってきた。これ以上書き綴ると自分という存在が本心から嫌いになりそうになってきたからである。12項目あたりで自分の良いところというのがそもそもあるのだろうか、という不安にかられ、14項目でそれが確信に変わりそうにさえなった。1項から15項をひとくくりにして蓮麿を評価した場合、実にくだらない男のように思えて仕方がない。こんな奴を好きになる人など神さえ知らぬと言うだろう。否しかし、僕には妻がいるわけで、そう考えると妻という存在は実に神々しくすら思ふ。こんな僕を、こんなくだらない蓮麿を好んでくれてありがとう、愛してくれてありがとう、と心の底から胃袋の底から心臓の隅々から思ふのである。
だけどどうだろ。どうでしょ。自分をくだらなく思い落ち込んだ挙句泣きながら妻に感謝すらするほど精神にストレスを加えてまで趣味というのを得なければならないのか。そもそも趣味という存在は実は苦痛を生むものなのではないか。これならば僕は、逆から言うと趣味を得た場合なんのメリットもなく、むしろ廃人になるではなかろうか。これこそ無意味だ。ということに僕は気付いたのだけれども、気付いてみたらみたで改めて自分という存在が嫌になった。僕は何をしているのだろう。何をしているのかしらん? こんなくだらない15項目を考えている暇があれば湯を沸かして蕎麦でも茹でれば良かった。そして茹で終えた湯を湯飲みに注ぎ蕎麦湯を飲めば良かった。そうしたら胃も満たされ肉体も温まりきっと風邪もひかない健康な一日を過ごせたのだろう。15項目の戯言よりも一杯の蕎麦である。人間というのは暇に飽きるとくだらぬことを思い描き、非生産的な妄想にかられ、最後は自分を嫌いになるのである。その反面的手本として諸君らに蓮麿という男の人生の一部をお知らせ致しますのでご査収の程よろしくお願い申し上げます。かしこ。
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by hasumaro | 2014-03-28 18:22 | エッセイ



爆発する愛と欲の言葉達
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